相続税対策の心理学!認知バイアスが招く失敗と科学的な節税アプローチ

相続税対策の心理学!認知バイアスが招く失敗と科学的な節税アプローチ

なぜ多くの人が相続対策を先延ばしにするのか

興味深いことに、相続税の課税割合が2024年に初めて10%を超えました。国税庁の発表によると、死亡者全体の10.4%にあたる16万6,730人が課税対象となり、申告税額は3兆2,446億円と過去最多を記録しています。

にもかかわらず、多くの人が「まだ先のこと」と相続対策を先延ばしにしています。税理士に相談するタイミングは親の健康問題が発生してから、という方が少なくありません。合理的に考えれば、早めに対策するほど節税効果は大きいはずなのに、なぜでしょうか。

私は京都大学大学院で認知科学を研究していますが、この問題の核心は「知識不足」ではなく「認知バイアス」にあると考えています。人間の脳には、相続対策のような「将来の利益」と「現在のコスト」を比較する際に、判断を歪める心理的傾向が備わっているのです。

本記事では、相続税対策において私たちが陥りやすい認知バイアスを、行動経済学の研究知見から解説します。そして、これらのバイアスを理解し克服するためのおすすめ本を紹介していきます。

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相続税の最新データ:課税割合が初の10%超え

誰もが他人事ではない時代に

まず最新のデータを確認しましょう。国税庁が2024年12月に発表した「令和5年分相続税の申告事績」によると、相続税の課税割合は年々上昇しています。

令和5年分(2023年)の申告状況

  • 被相続人数(死亡者数): 約158万人
  • 相続税申告者数: 約15.6万人
  • 課税価格総額: 21兆6,335億円
  • 申告税額総額: 3兆53億円

データによると、基礎控除が引き下げられた平成27年以前は課税割合4.4%でしたが、現在は10%を超えています。およそ10人に1人が相続税の対象になる時代です。

都市部では「5人に1人」が課税対象

特に注目すべきは地域差です。東京都の課税割合は18.7%、愛知県15.1%、神奈川県14.3%と、都市部では極めて高い水準です。

最も課税割合が高い麹町・神田税務署管内では、なんと43.8%。約2人に1人が相続税の課税対象となっています。都市部に不動産を持つ方にとって、相続税対策はもはや「富裕層だけの問題」ではありません。

現在バイアス:「まだ先のこと」が招く損失

将来の利益を過小評価する脳

行動経済学で「現在バイアス」(present bias)と呼ばれる認知傾向があります。これは、将来の報酬より現在の報酬を過大評価してしまう心理的傾向です。

Laibson(1997)やO’Donoghue & Rabin(1999)の研究では、準双曲割引モデル(β-δモデル)が提案されています。このモデルでは、人間は将来のすべての報酬を「現在バイアス係数β」で割り引いてしまうとされています。

相続対策に当てはめると、以下のような判断の歪みが生じます。

現在のコスト(過大評価される)

  • 税理士への相談料
  • 対策に費やす時間と労力
  • 家族と話し合う心理的負担

将来の利益(過小評価される)

  • 数百万〜数千万円の節税効果
  • 家族間トラブルの回避
  • 円滑な資産承継

仮説ですが、「5年後に1,000万円節税できる」という情報と「今日5万円の相談料がかかる」という情報を比較すると、多くの人は後者の「損失」を過度に重く感じてしまうのではないでしょうか。

先延ばしの真のコスト

相続対策の先延ばしには具体的な損失があります。

  1. 生前贈与の機会損失: 年間110万円の非課税枠を使う年数が減る
  2. 不動産活用の時間制限: 賃貸物件の建築や売却には時間がかかる
  3. 家族への説明機会: 本人の意思を直接伝える機会が失われる

私が以前住宅購入と認知バイアスの記事で解説したサンクコスト効果と同様に、「もっと早く始めればよかった」という後悔は非常に多いのです。

保有効果と現状維持バイアス:実家を手放せない心理

所有しているものを過大評価する

Kahneman, Knetsch & Thaler(1991)の古典的研究では、「保有効果」(endowment effect)と「現状維持バイアス」(status quo bias)が詳細に検討されています。

保有効果とは、自分が所有しているものの価値を、そうでない場合より高く評価する傾向です。相続した不動産に対しても、この効果が強く働きます。

実験結果の示唆 研究では、相続シナリオを用いた実験も行われています。「大叔父から多額の遺産を相続した」という設定で投資ポートフォリオの選択を求めると、既存の配分(現状維持)を選ぶ傾向が顕著に見られました。

「親から受け継いだもの」への感情的価値

相続した不動産には、金銭的価値以上の感情的価値が付与されがちです。

  • 「親が建てた家を売るのは忍びない」
  • 「先祖代々の土地を守りたい」
  • 「思い出のある場所を手放したくない」

これらの感情は人間として自然なものですが、相続税対策の観点からは判断を歪める要因になり得ます。

興味深いことに、この感情的価値は「売却した場合の損失」として認識されます。プロスペクト理論によれば、損失は利益の約2倍の心理的インパクトを持つため、売却という選択肢が過度に回避されてしまうのです。

これはREIT投資と認知バイアスの記事で解説した「塩漬け銘柄」の心理と同根です。

損失回避:節税と対策コストのジレンマ

二つの損失の間で揺れる心理

相続税対策には特有のジレンマがあります。

損失1: 対策しないことによる損失

  • 相続税として財産が減少する
  • 将来的に「払わなくてもよかった税金」を払う

損失2: 対策することによる損失

  • コンサルティング費用、手続き費用
  • 時間と労力の投入
  • 生前贈与による手元資金の減少

どちらも「損失」として認識されるため、人は身動きが取れなくなります。結果として「何もしない」という現状維持を選んでしまうのです。

過度な節税対策の罠

一方で、損失回避が逆方向に働くケースもあります。「税金で取られる」ことへの強い忌避感から、過度な節税対策に走ってしまうパターンです。

2024年には、政府・与党が投資用マンションを使った相続税節税策への規制を強化する方針を発表しました。相続直前に購入した投資用物件について、時価に基づく評価に改める予定です。

仮説ですが、これは一部の納税者が「税金を払う損失」を過度に回避した結果、法的にグレーな対策に走ったことへの対応とも解釈できます。

メンタルアカウンティング:税金を「特別扱い」する脳

税金は「特別な損失」として処理される

行動経済学者リチャード・セイラーが提唱した「メンタルアカウンティング」(心の会計)によれば、人間は同じお金でも、その出所や用途によって異なる心理的価値を付与します。

EUの税務行動経済学に関する研究報告書では、税金が「特に痛みを感じる支出カテゴリ」として処理されることが指摘されています。

これは合理的ではありません。相続税1,000万円も、リフォーム費用1,000万円も、同じ1,000万円のはずです。しかし、多くの人にとって「税金として取られる1,000万円」は、他の支出より心理的に重く感じられます。

過信バイアスの危険

同研究では「過信バイアス」も指摘されています。多くの人が、税法を実際以上に理解していると思い込んでいるのです。

「相続税は基礎控除があるから大丈夫」「うちは資産家じゃないから関係ない」といった思い込みは危険です。先述の通り、都市部では5人に1人が課税対象となる時代なのです。

相続税対策と行動経済学を学ぶおすすめ本5選

ここからは、相続税対策の実践知識と認知心理学への理解を深めるための本を5冊紹介します。

1. 相続の基礎から節税まで網羅

相続専門のYouTuber税理士による、わかりやすい相続入門書です。2021年に最も売れた相続本として、多くの読者に支持されています。

2. 不動産と節税を一冊で理解

元国税調査官が、不動産投資における節税を体系的に解説しています。所得税から相続税まで、幅広い視点で学べます。

3. ナッジ理論で行動を変える

本記事で解説した行動経済学の応用について、原典から学べる一冊です。デフォルト設定の力や選択アーキテクチャの考え方が詳しく解説されています。

4. 認知バイアスの理論的基盤

本記事で解説したプロスペクト理論や損失回避の原典です。意思決定に関わるあらゆる認知バイアスを理解できます。私が『ファスト&スロー』について詳しく解説した記事も参考にしてください。

5. 不合理な行動の科学

人間の「不合理な行動」を科学的に解明した名著です。日常的な意思決定の歪みを理解することで、相続対策にも活かせる知見が得られます。

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著者: ダン・アリエリー

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認知バイアスを克服する5つの実践的対策

1. 「今日できる最小の一歩」から始める

現在バイアスを克服するには、行動のハードルを下げることが重要です。「完璧な相続対策」を目指すのではなく、「今日できる最小の一歩」を設定しましょう。

  • 無料の相続税シミュレーターを試す
  • 相続に関する本を1冊読む
  • 家族と「いつか話そうね」と予告する

2. 損失を「投資」としてリフレーミングする

税理士への相談料や対策費用を「損失」ではなく「投資」として捉え直しましょう。5万円の相談料で500万円の節税ができるなら、ROI(投資収益率)は10,000%です。

3. 数字で「見える化」する

抽象的な「相続対策」ではなく、具体的な数字で考えましょう。

  • 現状のまま相続した場合の税額
  • 対策を講じた場合の税額
  • その差額(節税効果)

数字で可視化することで、保有効果や現状維持バイアスに対抗できます。

4. 「期限」を自分で設定する

「いつかやろう」は永遠に来ません。自分で期限を設定し、カレンダーに書き込みましょう。

  • 「今年中に税理士に相談する」
  • 「来月の親の誕生日までに家族会議を開く」

5. 第三者の視点を取り入れる

感情的価値が付与された相続財産について、自分だけで合理的な判断をするのは困難です。税理士、FP、不動産鑑定士など、第三者の専門家の意見を積極的に取り入れましょう。

おわりに:科学的視点で最適な相続対策を

認知科学の視点から見ると、相続対策が遅れるのは「怠慢」ではなく、人間の脳がそのように設計されているからです。現在バイアス、保有効果、損失回避、メンタルアカウンティング—これらは進化の過程で獲得した認知特性であり、日常生活では適応的に機能することも多いのです。

しかし、相続税対策という長期的な意思決定では、これらの認知特性が判断を歪める要因になり得ます。重要なのは、自分がこれらのバイアスから自由ではないことを認識し、意識的に対策を講じることです。

今回紹介した書籍を通じて、相続税対策の知識と認知バイアスへの理解を深めていただければ幸いです。科学的なアプローチこそが、最適な相続対策への第一歩です。

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著者: 橘慶太

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この記事のライター

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西村 陸

京都大学大学院で認知科学を研究する博士課程学生。理系でありながら文学への造詣も深く、科学と文学の交差点で新たな知の可能性を探求。

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    元外資系コンサルタントから転身したライター。経済学の知識を活かしながら、健康・お金・人間関係の最適化を追求。エビデンスベースの実践的な知識発信を心がける。

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