大人向け教養漫画おすすめ!物語の複雑性研究エビデンスで読む深い作品5選
「大人が読む漫画」は存在するのか
博士課程で認知科学を研究している僕は、漫画を「子供向け」と「大人向け」に分けることに違和感を覚える。
しかし、物語の複雑性という観点から見ると、確かに「読み手に高度な認知処理を要求する」作品は存在する。
興味深いことに、2024年にJournal of Experimental Psychology: Generalで発表されたメタ分析では、114の研究・559の効果量を統合し、フィクション読書と認知能力の関係を調査した結果、生涯を通じたフィクション読書経験は言語能力、一般的認知能力、共感・心の理論と正の相関(r = 0.16)があることが示された(DOI: 10.1037/xge0001583)。
今回は、物語の複雑性研究のエビデンスに基づいて、大人が深く楽しめる教養漫画5作品を選定した。
物語の複雑性と認知効果の心理学的基盤
文学的フィクションと大衆フィクションの違い
2024年にPoetics誌で発表された研究では、文学的フィクションと大衆フィクションの「複雑性」の違いが分析された(DOI: 10.1177/02762374231163483)。
この研究によると:
- 大衆フィクション: 登場人物の心理状態を明示的に説明する
- 文学的フィクション: 読者が心理状態を推論する必要がある
文学的フィクションは、登場人物だけでなく、暗示された読者、作者、語り手の心理状態までも読者に推論させる。この「推論の要求」が、認知的な効果を生み出すと考えられている。
心の理論(Theory of Mind)への影響
2013年にScience誌で発表された画期的な研究では、文学的フィクションを読むことで「心の理論」が向上することが実験的に示された。
「心の理論」とは、他者の心理状態(信念、欲求、意図など)を推論する能力のことだ。複雑な人間関係を持つ社会で生きていく上で、極めて重要な認知能力である。
世界観の複雑化
2023年にPersonality and Social Psychology Bulletinで発表された研究(5,176名)では、文学的フィクションを読む経験が「世界観の複雑化」と関連していることが示された(DOI: 10.1177/01461672221106059)。
具体的には:
- 帰属の複雑性の増加(出来事の原因を多面的に考える)
- 心理的豊かさの増加
- 現状の不平等を正当化する信念の減少
漫画で「文学的」体験を得る意義
文学的複雑性は、小説だけに限られたものではない。漫画も、視覚と言語の両方で複雑な物語を構築することができる。
むしろ、絵と文字の両方を処理する必要がある漫画は、独自の認知的負荷を読者に与える。複雑な物語構造を持つ漫画は、大人にとって知的な刺激を提供してくれる。
大人向けの深い教養漫画5選
1. 『ヒストリエ』岩明均 ー 歴史と人間の複雑性
『ヒストリエ』は、マケドニアのアレクサンドロス大王に仕えた書記官エウメネスの生涯を描く歴史漫画だ。
文学的複雑性の観点から注目すべきは、「歴史的事実」と「フィクション」の境界を読者に考えさせる点だ。
エウメネスは実在の人物だが、彼の内面や幼少期については史料が乏しい。岩明均は、限られた史料から人物像を構築し、読者に「この解釈は正しいのか」と問いかける。
また、古代ギリシャの価値観(奴隷制、戦争、多神教)を現代の視点で断罪せず、その時代の文脈で理解しようとする姿勢も、読者の世界観を複雑化させる。
研究が示すように、文学的フィクションは「帰属の複雑性」を高める。『ヒストリエ』は、歴史上の人物を単純な善悪で判断しないことを教えてくれる。
認知心理学的ポイント: 歴史的文脈での多面的理解と、解釈の複雑性。
2. 『蟲師』漆原友紀 ー 曖昧さと余韻
『蟲師』は、「蟲」と呼ばれる原初的な生命体と、それに関わる人々を描く物語だ。主人公のギンコは蟲を扱う専門家「蟲師」として各地を旅する。
この漫画が文学的に優れているのは、**「答えを与えない」**点だ。
多くのエピソードで、問題は完全には解決しない。蟲は善でも悪でもなく、ただ存在している。人間がどう関わるかによって、結果は変わる。
文学的フィクションの特徴である「意味のある空白」が、この漫画には満ちている。読者は自分で意味を見出し、解釈を構築する必要がある。
また、日本的な自然観(人間と自然の境界の曖昧さ)を体験させてくれる点も、西洋的な二元論に慣れた現代人にとって新鮮な視点を提供する。
認知心理学的ポイント: 曖昧さの中での意味構築と、非二元論的世界観。
3. 『寄生獣』岩明均 ー 人間とは何か
『寄生獣』は、謎の寄生生物に右手を乗っ取られた高校生・新一と、その寄生生物「ミギー」の共生を描く物語だ。
この漫画が知的刺激を与えるのは、「人間とは何か」という根源的な問いを徹底的に追求している点だ。
寄生生物は人間を「食料」としか見ていない。しかし、ミギーとの共生を通じて、新一は「人間の特別さ」を問い直すことになる。環境破壊、種の優位性、生命の価値。
研究が示すように、文学的フィクションは「心の理論」を向上させる。『寄生獣』では、人間ではない知性体の視点を理解しようとする過程で、読者の心の理論が試される。
また、明確な「正解」を提示せず、読者に考えさせる姿勢も、文学的複雑性の特徴だ。
認知心理学的ポイント: 異質な知性の理解と、人間性への根源的問い。
4. 『MONSTER』浦沢直樹 ー 悪の複雑性
『MONSTER』は、自分が命を救った少年が連続殺人犯に成長したことを知った脳外科医・テンマが、その「モンスター」を追う物語だ。
この漫画が文学的に優れているのは、「悪」の複雑性を描いている点だ。
連続殺人犯ヨハンは、単純な「狂人」として描かれていない。彼がなぜそうなったのか、彼の内面で何が起きているのか。物語は複数の視点から、悪の「成り立ち」を描いていく。
また、テンマ自身も「正義」の人として単純化されていない。彼は「命を救った判断は正しかったのか」という問いに苦しみ続ける。
文学的フィクションは、登場人物の心理状態を読者に推論させる。『MONSTER』では、最も理解困難な存在である「モンスター」の内面を推論しようとする過程で、読者は自身の認知能力を最大限に使うことになる。
認知心理学的ポイント: 悪の心理の推論と、道徳的曖昧さへの対峙。
5. 『風の谷のナウシカ』宮崎駿 ー 文明と生態系
『風の谷のナウシカ』は、文明崩壊後、有毒な菌類の森「腐海」が広がる世界で生きる少女ナウシカの物語だ。
この漫画が大人向けである理由は、映画版とは全く異なる複雑さを持っている点だ。
映画では「自然との共生」という比較的シンプルなメッセージが描かれるが、漫画版は7巻をかけてその「シンプルさ」を解体していく。ナウシカは次第に、腐海の真実、人類の過去、そして「清浄な世界」の意味を知ることになる。
最終的に彼女が下す決断は、読者の倫理観を揺さぶる。「正しい答え」は存在せず、読者は自分自身で判断を下す必要がある。
宮崎駿が10年以上をかけて描いたこの物語は、日本の漫画が到達した「文学的深度」の一つの頂点と言える。
認知心理学的ポイント: 生態系と文明の複雑な関係、倫理的判断の困難さ。
物語の複雑性要素別・漫画の読み方
| 複雑性の要素 | 該当漫画 | 知的刺激のポイント |
|---|---|---|
| 歴史的解釈 | ヒストリエ | 史料と想像力の境界 |
| 曖昧さ | 蟲師 | 答えのない物語 |
| 哲学的問い | 寄生獣 | 人間性の定義 |
| 悪の理解 | MONSTER | 最も困難な心の理論 |
| 倫理的葛藤 | ナウシカ | 正解なき選択 |
教養漫画を深く読む3つの方法
1. 一度で理解しようとしない
文学的に複雑な作品は、一度読んだだけでは全てを理解できないことが多い。読み返すたびに新しい発見がある。「わからない」ことを楽しむ姿勢が重要だ。
2. 登場人物の視点を意識する
研究が示すように、文学的フィクションの効果は「心の理論」の向上と関連している。登場人物がなぜその行動を取ったのか、彼らの視点から考えてみよう。
3. 読後に「問い」を持つ
教養漫画は、読後に「答え」ではなく「問い」を残す。その問いを大切にし、自分なりに考え続けることで、知的成長につながる。
まとめ:漫画は「大人の読み物」になりうる
「漫画は子供の読み物」という偏見は、日本でも海外でも根強い。しかし、研究が示すように、複雑な物語を読むことは認知能力の向上と関連している。
2024年のメタ分析によると、フィクション読書は言語能力、認知能力、共感能力と正の相関がある。重要なのは、その物語が「読者に推論を要求する」複雑性を持っているかどうかだ。
今回紹介した5作品は、それぞれ異なる種類の「複雑性」を提供してくれる。普段は気軽な娯楽として漫画を読んでいる人も、時にはこれらの作品に挑戦してみてほしい。
読み終えたとき、あなたの「世界の見方」が少し複雑になっているはずだ。




