災害心理学本おすすめ!認知バイアスが招く避難遅れのメカニズム

災害心理学本おすすめ!認知バイアスが招く避難遅れのメカニズム

「津波警報が出ているのに、なぜ人々は逃げなかったのか?」

東日本大震災の際、この問いに向き合うことになった研究者は少なくありません。内閣府の調査によると、津波警報を見聞きしても「すぐに避難した」人は約57%に留まりました。残りの43%は、何らかの理由で避難行動が遅れたのです。

興味深いことに、避難しなかった理由の上位には「自宅は大丈夫だと思った」「過去の津波で被害がなかった」といった回答が並びます。これらは単なる油断ではなく、人間の脳に備わった認知バイアスが深く関わっています。

京都大学大学院で認知科学を研究する立場から、災害時の人間行動を「なぜ逃げ遅れるのか」という視点で読み解いてきました。この記事では、災害心理学の知見と認知科学の最新研究を統合し、命を守るために知っておくべき本を紹介します。

人はなぜ逃げおくれるのか -災害の心理学

著者: 広瀬弘忠

災害心理学の第一人者・広瀬弘忠氏による古典的名著。正常性バイアスの概念を日本に広めた一冊で、大韓航空機事故から阪神淡路大震災まで豊富な事例を交えて解説。

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正常性バイアス:「大丈夫」という危険な思い込み

脳は異常事態を認めたくない

**正常性バイアス(Normalcy Bias)**とは、異常な事態に直面しても「これは正常の範囲内だ」と解釈しようとする心理傾向です。火災警報が鳴っても「訓練だろう」「誤報だろう」と考えてしまう、あの心理のことです。

広瀬弘忠氏の『人はなぜ逃げおくれるのか』では、この正常性バイアスがいかに強力に働くかを示す衝撃的な事例が紹介されています。1983年の大韓航空機事故では、不時着後に機体から炎が上がり始めても、乗客の多くが90秒以上もその場に留まっていたといいます。非常口が開いているにもかかわらず、です。

仮説ですが、人間の脳は「パニックを避ける」という進化的なメリットのために、この正常性バイアスを発達させた可能性があります。日常生活において、些細な刺激にいちいち過剰反応していては生存に不利です。しかし真の緊急事態では、このバイアスが命取りになりうるのです。

データが示す避難行動の実態

東日本大震災における避難行動の調査データを見ると、正常性バイアスの影響は明確です。

  • 津波警報を認知しても「すぐに避難」した人:約57%
  • 「様子を見てから避難」した人:約25%
  • 「避難しなかった」人:約18%

「様子を見る」という行動は、まさに正常性バイアスの表れです。「本当に危険なのか確認してから」という合理的に見える判断が、致命的な遅れを生むことがあります。

『ファスト&スロー』から読み解く人間の思考システムで解説されているSystem 1(直感的思考)は、過去の経験をベースに瞬時の判断を下します。過去に津波が来なかった経験があると、「今回も大丈夫だろう」という判断が自動的に生成されてしまうのです。

同調バイアス:周囲が動かないから動かない

傍観者効果と災害行動

**同調バイアス(Conformity Bias)**は、周囲の人々の行動に自分の行動を合わせようとする傾向です。災害時にこれが特に危険なのは、「誰も逃げていないから大丈夫だろう」という判断につながるからです。

LatanéとDarleyによる古典的研究(1968年)では、煙が充満する部屋に被験者を置く実験が行われました。一人でいる場合は75%の人が報告に行きましたが、動かないサクラと一緒にいると、報告に行った人はわずか10%でした。

この「傍観者効果」は、緊急事態の認知を妨げます。「他の人が動かないということは、きっと大したことではないのだろう」という推論が働くのです。

釜石の奇跡に学ぶ「率先避難者」の重要性

同調バイアスを逆手に取った成功例が、東日本大震災における「釜石の奇跡」です。岩手県釜石市では、小中学生約3,000人がほぼ全員無事に避難できました。

防災教育の専門家・片田敏孝氏らの研究によると、この成功の鍵は「率先避難者」の存在でした。避難訓練で繰り返し「まず自分が逃げる。そうすれば周りも逃げ始める」と教えられた子どもたちが、津波警報と同時に走り出しました。その姿を見た大人たちも避難を始め、連鎖的に避難行動が広がったのです。

興味深いことに、同調バイアスは「避難しない」方向にも「避難する」方向にも働きます。最初の一人が動くかどうかで、集団全体の運命が変わりうるのです。

楽観性バイアス:「自分だけは助かる」という錯覚

非現実的楽観主義の罠

**楽観性バイアス(Optimism Bias)**とは、「悪いことは他人に起こるもので、自分は大丈夫」と考える傾向です。Weinsteinの研究(1980年)では、人々が自分の将来について非現実的に楽観的な予測をすることが実証されています。

災害リスクの文脈では、この楽観性バイアスが以下のような思考を生みます:

  • 「うちの地域は大丈夫」
  • 「これまで被害を受けたことがない」
  • 「自分は運がいい」

データによると、ハザードマップで浸水想定区域に住んでいても、実際に避難準備をしている人は少数派です。「地図上では危険でも、実際には自分は大丈夫」という楽観性バイアスが働いているのです。

認知的不協和と自己説得

楽観性バイアスは、認知的不協和の理論とも関連しています。「逃げなければならない」という認知と「逃げたくない」という感情が衝突すると、人は不協和を解消するために「大丈夫」と自己説得を始めます。

『FACTFULNESS』で紹介されている思考の罠と同様に、楽観性バイアスも無意識のうちに判断を歪めます。重要なのは、このバイアスの存在を知識として持っておくことです。「自分も楽観性バイアスに陥っているかもしれない」と意識するだけで、より適切な判断ができるようになります。

災害心理学を学ぶためのおすすめ本5選

1. 人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学

災害心理学を学ぶなら、まずこの一冊から始めることをおすすめします。著者の広瀬弘忠氏は、東京女子大学名誉教授であり、日本における災害心理学研究の第一人者です。

本書の特徴は、大韓航空機事故、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件など、実際の災害・事故事例を詳細に分析している点です。正常性バイアスや同調バイアスといった概念が、具体的なエピソードを通じて理解できます。

人はなぜ逃げおくれるのか -災害の心理学

著者: 広瀬弘忠

災害心理学入門の決定版。2004年刊行ながら、その知見は現在も色褪せない。集英社新書で手軽に読める。

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2. 生き残る判断 生き残れない行動

アマンダ・リプリーによる本書は、災害時の人間行動を多角的に分析した良書です。9.11同時多発テロ、ハリケーン・カトリーナ、津波など、世界各地の災害における生存者と犠牲者の行動の違いを検証しています。

興味深いことに、本書では「なぜある人は生き残り、別の人は生き残れなかったのか」という問いに対して、単なる運ではなく、心理的な準備状態の違いが大きいことを示しています。

生き残る判断 生き残れない行動

ジャーナリストによる災害時の人間行動の徹底分析。生存者インタビューを通じて、極限状況での判断力の差を明らかにする。

¥990(記事作成時の価格です)

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3. きちんと逃げる。―災害心理学に学ぶ危機との闘い方

『人はなぜ逃げおくれるのか』の著者・広瀬弘忠氏による続編的な位置づけの一冊です。前著で分析した認知バイアスの問題に対して、「ではどうすれば正しく逃げられるのか」という実践的な解決策を提示しています。

本書では、避難訓練の効果を高める方法、家族での避難計画の立て方、情報の受け取り方など、具体的なアクションプランが示されています。

きちんと逃げる。―災害心理学に学ぶ危機との闘い方

正常性バイアスを克服し、実際に避難行動を取れるようになるための実践書。

¥1,540(記事作成時の価格です)

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4. 防災についてのほぼすべてがわかる本

防災の全体像を俯瞰したい人におすすめの一冊です。災害心理学だけでなく、防災グッズ、避難所運営、被災後の生活再建まで、幅広いテーマをカバーしています。

認知バイアスの観点からも、「なぜ備えができないのか」「なぜ情報を軽視するのか」といった心理的障壁について言及されており、理論と実践のバランスが取れた良書です。

5. ファスト&スロー

ダニエル・カーネマンによる行動経済学の古典です。直接的には災害心理学の本ではありませんが、人間の判断と意思決定のメカニズムを理解する上で必読の一冊です。

本書で解説されているSystem 1(速い思考)とSystem 2(遅い思考)の概念は、災害時の判断エラーを理解する上で非常に有用です。なぜ人は緊急事態で合理的な判断ができないのか、その根本原因を理解できます。

認知バイアスを克服する3つの実践法

1. 「もし〜だったら」シミュレーション

災害が起きたときの行動を、具体的にイメージしておくことが重要です。「地震が起きたら、まずテーブルの下に隠れる」「津波警報が出たら、家族を待たずに高台に向かう」といった具体的なシナリオを事前に決めておきます。

認知科学の研究では、事前にシミュレーションしておくことで、実際の場面での行動が速くなることが示されています。正常性バイアスが働く余地を減らし、自動的に避難行動を開始できるようになるのです。

2. 率先避難者になる決意

同調バイアスを逆に利用するアプローチです。「周りが動かなくても、自分が最初に動く」と決めておきます。釜石の奇跡が示すように、最初の一人が動くことで、連鎖的に避難行動が広がる可能性があります。

家族や職場で「誰が率先避難者になるか」を事前に決めておくのも効果的です。役割を明確にすることで、実際の場面での迷いが減ります。

3. 楽観性バイアスの自覚

「自分は大丈夫」と感じたら、それ自体が危険信号だと認識しましょう。楽観性バイアスが働いている可能性が高いからです。

具体的には、ハザードマップを確認する、過去の災害記録を調べる、被災者の体験談を読むといった行動が効果的です。「自分も被災する可能性がある」というリアリティを持つことで、楽観性バイアスを抑制できます。

まとめ:知ることが命を守る第一歩

災害時に人が逃げ遅れる原因は、単なる油断や怠慢ではありません。正常性バイアス、同調バイアス、楽観性バイアスといった、人間の脳に備わった認知傾向が深く関わっています。

仮説ですが、これらのバイアスは進化の過程で獲得されたものであり、日常生活では有用に機能しています。しかし真の緊急事態では、このバイアスが致命的な判断エラーを引き起こす可能性があるのです。

重要なのは、これらのバイアスの存在を知識として持っておくことです。「自分も正常性バイアスに陥るかもしれない」「楽観性バイアスで危険を過小評価しているかもしれない」と意識するだけで、より適切な判断ができるようになります。

災害はいつ起こるかわかりません。しかし、災害心理学の知見を学んでおくことで、いざというときの行動は確実に変わります。今回紹介した書籍を通じて、ぜひ「逃げ遅れない自分」を育ててください。

人はなぜ逃げおくれるのか -災害の心理学

著者: 広瀬弘忠

災害心理学入門の決定版。正常性バイアス、同調バイアス、楽観性バイアスなど、避難行動を妨げる認知メカニズムを豊富な事例とともに解説。新書で手軽に読める一冊。

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西村 陸

京都大学大学院で認知科学を研究する博士課程学生。理系でありながら文学への造詣も深く、科学と文学の交差点で新たな知の可能性を探求。

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    元外資系コンサルタントから転身したライター。経済学の知識を活かしながら、健康・お金・人間関係の最適化を追求。エビデンスベースの実践的な知識発信を心がける。

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