投資の認知心理学!プロスペクト理論で理解する非合理的な投資行動

投資の認知心理学!プロスペクト理論で理解する非合理的な投資行動

投資家の74.9%が「利確」を急ぐ—脳が仕掛ける投資の罠

「利益が出ている銘柄を売って、損が出ている銘柄は持ち続ける」

投資経験者なら、一度はこの行動パターンに心当たりがあるのではないでしょうか。興味深いことに、日本証券業協会の2023年調査によると、2024年に有価証券を売却した理由として「利益確定を考えたため」と回答した人は**74.9%に達する一方、「損切りを行うため」はわずか27.9%**にとどまっています。

この非対称性は偶然ではありません。1979年にダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーが発見したプロスペクト理論、そして1985年にハーシュ・シェフリンとメイア・スタットマンが発見したディスポジション効果が、この現象を科学的に説明しています。

本稿では、投資判断を歪める認知バイアスのメカニズムと、それを克服するための科学的アプローチを解説します。

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プロスペクト理論—損失は利益の2倍痛い

カーネマンとトヴェルスキーの発見

プロスペクト理論は、1979年にダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーによってEconometrica誌に発表された、行動経済学の基礎となる理論です。この研究は2002年のカーネマンのノーベル経済学賞受賞につながりました。

プロスペクト理論の核心は、損失の心理的インパクトは利益の約2倍という発見にあります。

たとえば、以下の2つの選択肢を考えてみてください。

選択A: 確実に5万円をもらえる 選択B: 50%の確率で10万円をもらえるが、50%の確率で何ももらえない

期待値は同じ5万円ですが、多くの人は確実性を好んで選択Aを選びます。

ところが、次の状況では判断が変わります。

選択C: 確実に5万円を失う 選択D: 50%の確率で10万円を失うが、50%の確率で何も失わない

この場合、多くの人はリスクを取って選択Dを選ぶのです。利益の領域ではリスク回避的に、損失の領域ではリスク追求的になる—これがプロスペクト理論の予測であり、投資行動に深刻な影響を与えます。

投資判断への影響

この理論を投資に当てはめると、以下のような行動パターンが説明できます。

状況理論的予測典型的な投資行動
含み益があるリスク回避的になる早めに利確してしまう
含み損があるリスク追求的になる損切りせず保有し続ける

仮説ですが、この非対称性は進化的に説明できるかもしれません。狩猟採集時代において、獲得した獲物(利益)を守ることは生存に直結し、一方で失った獲物を取り戻そうとするリスクテイクも時には必要だったのかもしれません。しかし現代の金融市場では、この心理が合理的な投資判断を妨げています。

これは転職の意思決定における損失回避と同様のメカニズムで、人間の脳に普遍的に備わった認知特性です。

ディスポジション効果—なぜ「勝ち銘柄」を早く売るのか

Shefrin & Statmanの発見

1985年、行動経済学者のハーシュ・シェフリンとメイア・スタットマンは、投資家の売買行動を分析し、**ディスポジション効果(Disposition Effect)**を発見しました。

ディスポジション効果とは、投資家が利益の出ている資産を早く売却し、損失の出ている資産を長く保有する傾向を指します。

実証研究の衝撃

のちにUCバークレー大学のテランス・オディーン教授(1998)は、1万の個人投資家口座を分析し、驚くべき結果を明らかにしました。

含み益のあるトレードは、含み損のあるトレードに対して平均50%も確定させられやすい

つまり、投資家は利益が出ている銘柄を損失が出ている銘柄の1.5倍の頻度で売却しているのです。

4つの心理的要因

シェフリンとスタットマンは、ディスポジション効果を引き起こす4つの心理的要因を特定しました。

1. プロスペクト理論における損失回避 前述の通り、損失を確定することへの心理的抵抗が強い。

2. メンタルアカウンティング(心の会計) 各銘柄を独立した「口座」として扱い、個別に損益を評価する傾向。ポートフォリオ全体ではなく、個別銘柄の損益に一喜一憂します。これは行動経済学で学ぶお金の心理学で詳しく解説したメカニズムと同じです。

3. 後悔回避(誇りを求め後悔を避ける) 利益確定は「賢い判断をした」という誇りを生み、損失確定は「間違った判断をした」という後悔を生む。

4. セルフコントロールの欠如 頭では「損切りすべき」と分かっていても、感情的に実行できない。

日本の投資家データが示す認知バイアスの実態

損失回避傾向の測定

日本証券業協会の調査では、損失回避傾向を直接測定する質問も行われています。

「半々の確率で2万円の値上がり益か、1万円の値下がり損のいずれかが発生する場合、投資しますか?」

期待値は+5,000円(= 0.5×20,000 + 0.5×(-10,000))でプラスですが、「投資しない」と回答した人は**28.7%**に達しました。

これは金融リテラシー調査の74.2%が期待収益率+5%の投資を避けるというデータとも整合的で、日本人の損失回避傾向の強さを示しています。

2024年8月相場急落時の行動

興味深いのは、2024年8月の相場急落時の投資家行動です。

行動割合
投資額を変えなかった43.4%
投資行動は取っていない29.8%
投資額を増やした20.5%
投資額を減らした5.1%

データによると、相場急落時に「売り」で反応した投資家はわずか5.1%でした。一方、「買い増し」した投資家は20.5%と、逆張り行動を取った人の方が多いのです。

これは合理的な行動とも解釈できますが、同時に「損失を確定させたくない」という心理が「売らない」という不作為につながっている可能性もあります。

投資の認知心理学を深く理解するおすすめ書籍

1. 投資賢者の心理学(大江英樹)

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2. 行動ファイナンスと投資の心理学(ハーシュ・シェフリン)

行動ファイナンスと投資の心理学―ケースで考える欲望と恐怖の市場行動への影響

ディスポジション効果の発見者による行動ファイナンスの古典。豊富な実際の金融市場における事例を題材に、投資家心理を科学的に分析します。

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ディスポジション効果を発見した研究者本人による著作。欲望、恐怖、希望などの人間の心理が市場行動にどのような影響を与えているのかを、豊富なケーススタディで解説しています。

3. 行動ファイナンスで読み解く 投資の科学(大庭昭彦)

野村證券金融工学研究センターの主任研究員による科学的解説書。カーネマンがノーベル賞を受賞した2002年以降の研究成果を、実務家の視点でわかりやすく紹介しています。

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4. ファスト&スロー(ダニエル・カーネマン)

プロスペクト理論の提唱者による名著。『ファスト&スロー』から読み解く人間の思考システムでも詳しく解説していますが、System 1(直感)とSystem 2(論理)の相互作用を理解することで、投資判断の歪みがなぜ生じるのかが明確になります。

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5. 行動ファイナンスの実践(ジェームス・モンティア)

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認知バイアスを克服する3つの投資戦略

戦略1: 事前ルールの設定(プレコミットメント)

ディスポジション効果を克服する最も効果的な方法は、投資する前に売却ルールを決めておくことです。

具体的な実践方法

  • 「購入価格から15%下落したら損切り」
  • 「目標価格に到達したら3分の1を利確」
  • 「決算発表で予想を下回ったら売却」

重要なのは、このルールを書面で残すことです。人間の記憶は都合よく歪むため、「あのとき何%下がったら売ると決めていたか」を正確に覚えていることは困難です。

戦略2: システマティック投資(感情の排除)

投資判断から感情を完全に排除するのが、システマティック投資です。

具体的な方法

  1. ドルコスト平均法: 毎月一定額を機械的に投資
  2. リバランス: 定期的に資産配分を元の比率に戻す
  3. インデックス投資: 個別銘柄選択の判断を排除

特にドルコスト平均法は、「今は買い時か」という判断を不要にするため、損失回避バイアスやアンカリング効果の影響を受けにくくなります。

戦略3: 投資日記による自己認識

認知バイアスは無意識に作用するため、意識化することが克服の第一歩です。

記録すべき項目

  • 投資判断の日時と内容
  • その時の感情(興奮、不安、焦りなど)
  • 判断の理由(なぜ買う/売ると思ったか)
  • 後日の振り返り(結果と学び)

数ヶ月の記録を振り返ると、自分のバイアスパターンが見えてきます。「含み損の銘柄について書くとき、いつも売らない理由を探している」などの気づきが得られるでしょう。

まとめ—認知科学の視点で賢い投資家になる

本稿では、投資判断を歪める認知バイアスを科学的に解説しました。

重要なポイント

  • プロスペクト理論: 損失の心理的インパクトは利益の約2倍。含み損を確定させることへの抵抗が強い
  • ディスポジション効果: 利益銘柄を早く売り、損失銘柄を持ち続ける。含み益は50%も確定されやすい
  • 日本の投資家データ: 利確74.9%に対し損切りは27.9%、損失回避傾向は明確
  • 克服法: 事前ルール設定、システマティック投資、投資日記

「なぜ自分は損切りできないのか」「なぜ利益を伸ばせないのか」—これらの悩みを「意志が弱いから」と片付けてしまいがちです。しかし、プロスペクト理論とディスポジション効果は、これらが人間の脳に普遍的に備わった認知特性であることを示しています。

自分の思考パターンを認知科学の視点で理解することは、それ自体が対処の第一歩です。投資判断の際に「今、自分はディスポジション効果の影響を受けていないか」と自問することで、より合理的な判断に近づけるはずです。

投資は長期戦です。認知バイアスを理解し、科学的なアプローチで資産形成に取り組んでいただければ幸いです。

ファスト&スロー(上)

著者: ダニエル・カーネマン

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西村 陸

京都大学大学院で認知科学を研究する博士課程学生。理系でありながら文学への造詣も深く、科学と文学の交差点で新たな知の可能性を探求。

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    元外資系コンサルタントから転身したライター。経済学の知識を活かしながら、健康・お金・人間関係の最適化を追求。エビデンスベースの実践的な知識発信を心がける。

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