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『ないもの、あります』紹介|言葉の中にしかない品々を本当に届ける幻想エッセイ

『ないもの、あります』紹介|言葉の中にしかない品々を本当に届ける幻想エッセイ

言葉の中には、たしかによく使うのに、一度も現物を見たことがないものがある。

たとえば「堪忍袋の緒」。たとえば「転ばぬ先の杖」。たとえば「口車」や「地獄耳」。

『ないもの、あります』は、そういうことわざや慣用句の中にしか存在しない品々を、本当に取り寄せて並べてみせる本だ。設定だけ聞くと小さな言葉遊びのようだが、読んでみると、想像力とデザイン感覚がかなり濃い。

短いのに、忘れにくい。古びにくい。2025年本屋大賞の発掘部門「超発掘本!」に選ばれたのも納得できる一冊だと思う。

ないもの、あります (ちくま文庫 く 21-5)

言葉の中にしかない品々を、本当に取り寄せて見せるクラフト・エヴィング商會の代表作。

先に結論:この本の魅力は「言葉を物にしてしまう」ところにある

この本の面白さは、単に奇妙な題材を集めたことではない。

  1. 慣用句の中の「ないもの」を、本当にある物として扱う発想
  2. それを図鑑でも辞書でもなく、取り寄せ品目録のように見せる語り口
  3. 読み終えると、ふだん使う言葉の輪郭まで少し変わって見えること

つまり本書は、可愛い発想の本というだけではない。言葉と物の関係を、ユーモアでずらして見せる本なのだと思う。

どんな本か

筑摩書房の公式紹介では、本書は「よく耳にするけれど、一度としてその現物を見たことがないもの」を、クラフト・エヴィング商會が古今東西から取り寄せて届ける本、と説明されている。

実際に並ぶ品目を見ても、そのセンスは強い。

  • 堪忍袋の緒
  • 舌鼓
  • 左うちわ
  • 口車
  • 先輩風
  • 地獄耳
  • 自分を上げる棚
  • 捕らぬ狸の皮ジャンパー
  • 転ばぬ先の杖
  • 目から落ちたうろこ
  • 他人のふんどし
  • 大風呂敷

ここまで来ると、もう「何それ」と笑うしかないのだが、同時に、「たしかに言葉としては知っている」「でも現物は想像したことがなかった」という不思議な感覚も出てくる。この感覚こそ、本書の核だと思う。

本書の読みどころ

1) 慣用句が急に立体物になる

この本を読むと、普段は記号として流している言葉が、急に立体感を帯びる。

「堪忍袋の緒」は、ふつう怒りの限界を表すだけの言葉だ。けれど本書では、それが「本当に存在する品」として差し出される。そうすると、言葉の比喩性が前に出るだけでなく、こちらの頭の中で妙な具体性が立ち上がる。

これは辞書の説明では起こりにくい体験だ。意味を説明するのではなく、存在をでっちあげることで、言葉の手触りを変える。本書の知的な遊びはそこにある。

2) 一冊全体が「架空の商會」という設定で統一されている

本書の強さは、アイデア単発で終わらないところだ。

「ないもの」を集めました、で終わるなら、数ページの特集でも成立する。だが本書は、クラフト・エヴィング商會という看板のもとで、それぞれの品を本当に扱っているかのような調子を崩さない。この設定の持続が、読者を本の中のルールへ連れていく。

だから読んでいるうちに、「これは比喩です」と分かっていても、その比喩が一度、現物の世界へ越境してくる。短い本なのに世界観が残るのは、この統一感があるからだ。

3) 笑えるのに、雑には作られていない

本書はユーモラスだが、雑な冗談ではない。

たとえば「捕らぬ狸の皮ジャンパー」や「自分を上げる棚」といった項目は、言葉のずれだけでも十分おかしい。しかしそれが一発ネタで終わらず、「なるほど、そう見立てるのか」と思わせるところまで練られている。ここに、クラフト・エヴィング商會の本づくりの精度が出ている。

著者ユニットが装幀の仕事でも知られるのは偶然ではないと思う。ことばの発想と物としての見え方が、同じレベルで設計されているからだ。

4) いま再注目される理由がわかる

本書は2009年の文庫だが、2025年に本屋大賞発掘部門「超発掘本!」を受賞して再び注目された。

この再評価には理由がある。いまは短い言葉や説明の即効性が強い時代だが、本書はその逆を行く。言葉をすぐ消費せず、少し立ち止まって眺め直す。その贅沢さが、むしろ新鮮に見えるのだと思う。

SNSで一文だけ切り取っても面白いが、本当に効くのは一冊通して読んだときだ。品目が増えるごとに、「日本語ってこんなに妙な物を抱えていたのか」とじわじわ効いてくる。

どう読むべきか

この本は、物語の起伏を追う本ではない。ページ数も128頁と短い。

だから一気に読んでもいいし、少しずつめくってもいい。ただ、おすすめはまとめ読みより、数編ずつ読んで余韻を残す読み方だ。ひとつひとつの項目が小さな展示物のようなので、詰め込みすぎないほうが、本の味が出る。

また、ことわざや慣用句にあまり強くない人でも大丈夫だと思う。知らない言葉があっても、むしろ「そんな言い回しがあるのか」と驚ける。意味を覚える本というより、日本語の面白さに触れる本だからだ。

こんな人におすすめ

  • 短いのに印象が強い本を探している人
  • 言葉遊びや装幀感覚のある本が好きな人
  • 小説ほど重くなく、でも軽すぎない本を読みたい人
  • 誰かに贈る本、手元に置いておきたい本を探している人

まとめ

『ないもの、あります』は、言葉の中にしかないものを、本当に「あるもの」として見せてしまう本だ。

読後に何か大きな教訓が残るタイプではない。けれど、ものの見え方が少しだけ変わる。慣れた言葉が急に可笑しくなり、同時に愛着まで湧いてくる。そういう変化を起こせる本は、実はかなり貴重だ。

本の面白さは、必ずしも長さや深刻さでは決まらない。この一冊は、そのことをきれいに証明している。

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西村 陸

京都大学大学院で認知科学を研究する博士課程学生。理系でありながら文学への造詣も深く、科学と文学の交差点で新たな知の可能性を探求。

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    元外資系コンサルタントから転身したライター。経済学の知識を活かしながら、健康・お金・人間関係の最適化を追求。エビデンスベースの実践的な知識発信を心がける。

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