レビュー
概要
『マンガでわかる! 認知症の人が見ている世界』は、認知症を「症状の一覧」で理解する本ではありません。認知症のある本人がどんな不安や混乱の中で毎日を過ごしているのか、その内側から見た世界を、マンガと解説でたどっていく本です。著者の川畑智さんは認知症ケアの現場で多くの当事者と向き合ってきた理学療法士で、監修には認知症医療の第一線にいる遠藤英俊さん、マンガは浅田アーサーさんが担当しています。
この本の最大の特徴は、見開きごとに「家族や介護者から見た行動」と「認知症の人の側から見えている世界」を対比させる構成です。周囲からは不可解に見える言動でも、本人の中では筋の通った理由がある。そのずれを丁寧に可視化することで、介護する側の怒りや戸惑いが少しずつ理解へ変わっていくように作られています。
本の具体的な内容
本書でまず印象に残るのは、認知症の人の行動を「困った問題行動」として片づけない姿勢です。たとえば物をなくしたときに「あなたが盗ったでしょう」と家族を責めてしまう、いわゆる物盗られ妄想の場面では、周囲から見れば理不尽に映ります。けれど本人の側には、「大事なものが消えた」「自分の記憶に自信が持てない」「失敗を認めるのは怖い」という切迫感があります。本書はその不安の連鎖をマンガで示します。そして、正面から言い負かすより、まず一緒に探す姿勢が不信感を和らげると伝えます。
また、家族が疲弊しやすい場面も多く出てきます。例として、お金への執着が強まる、同じ確認を繰り返す、帰宅しようとして外へ出る、といったケースが扱われます。こうした振る舞いは、本人の見え方や時間感覚が変わった結果として描かれます。ここで重要なのは、認知症の人が何も分からなくなっているわけではない、という前提です。むしろ断片的に分かるからこそ不安が強くなり、その不安が行動に出る。そう考えると、対応の出発点は注意や叱責ではなく、安心を回復させることだと分かります。
構成面でも本書はよくできています。読者はまずマンガで家族側のいら立ちを追体験し、その直後に認知症の人の視界へ移る。さらに解説パートで、なぜそう見えるのか、どこで混乱が起きるのか、どんな言葉かけや環境調整が役立つのかが整理されます。この順番が非常に大きいです。理屈だけ先に説明される本だと頭では理解できても、感情がついてきません。本書は感情の動きから始めるので、知識がそのまま態度の修正につながりやすいのです。
もう1つ良いのは、認知症の人を必要以上に美化しないことです。介護する家族がしんどいのは事実であり、余裕を失ってしまうことも珍しくありません。本書はそこを責めません。「分かってあげなければならない」と道徳で押すのではなく、見えている世界の差を知るほうが結果として自分を守ることにもつながる、と伝えます。この現実感があるから、介護当事者にも届きやすいのだと思います。
しかも、マンガと短い解説のセットなので、一度通読したあとも必要な場面だけ見返しやすい構造です。認知症介護では、正しい知識を一気に覚えることより、困った場面で立ち戻れる手がかりがあることのほうが大切です。本書は読み物として消費して終わるより、手の届く場所へ置いておく使い方に向いています。いら立ちが強くなったとき、数ページだけ見返せるのも大きな利点です。入門書でありながら、現場での耐久性がある本です。
医療解説書として見ると、病型分類や薬物療法を詳しく学ぶ本ではありません。アルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症の差を体系的に知りたい人には別の本も必要でしょう。ただし、日常で本当に困るのは診断名そのものより、「なぜこんなことを言うのか」「どう返せば関係が壊れにくいのか」という場面です。本書はそこに焦点を当てています。知識の入口としても、家族ケアの実用書としてもかなり強い一冊です。
こんな人におすすめ
- 認知症の家族と接するなかで、怒りや戸惑いを抱えている人
- 介護職、看護職、リハビリ職の初学者
- 認知症を病名ではなく、本人の体験として理解したい人
類書との比較
認知症関連の本には、疾患の特徴や制度、介護保険サービスを中心に説明するものが多くあります。それらはもちろん重要ですが、読む人によっては「分かったつもり」で止まりやすい面もあります。本書は、認知症の人が見ている世界を見開きの対比で示すため、理解が概念で終わりません。医療情報の網羅性では専門書に及ばなくても、日々の関わり方を変える力はこちらのほうが強いと感じます。
また、認知症本の中には、当事者家族の体験記として感情に寄るものと、専門家向けに理論へ寄るものがあります。本書はその中間にあり、感情のリアリティと実践のヒントが両立しています。だから、家族にも専門職の初学者にも勧めやすいのです。
感想
この本を読むと、認知症の人の言動を「正すべき間違い」とだけ見る視点が崩れます。本人にとっては世界が少しずつずれて見えていて、そのなかで必死につじつまを合わせようとしている。そう思えるだけで、返す言葉も表情もかなり変わるはずです。
特に良かったのは、介護者のつらさを無視せず、それでも理解の余地を残しているところでした。認知症関連の本には、正論が前に出すぎて当事者が疲れるものもあります。けれど、この本は違います。マンガのわかりやすさを入り口にしながら、実際にはかなり本質的なことを言っています。認知症ケアの最初の1冊としてだけでなく、関わり方を見直したいときに戻れる本としても信頼できました。読み返すたびに、反応より理解を先に置く姿勢を思い出させてくれます。