レビュー
「野球漫画」なのに、いちばん強い球は言葉と沈黙で投げてくる
『クロスゲーム(1)』は、爽やかな青春野球ストーリーとして始まる。スポーツ用品店の息子・樹多村光(コウ)と、バッティングセンター兼喫茶店「クローバー」を営む月島家の四姉妹が中心だ。幼なじみは四姉妹、という関係がすでに面白い。
けれど、1巻を読んで残るのは、勝ち負けの気持ちよさではない。誰かの不在が空気の温度を変え、会話の端が少しだけ刺さる。あだち充らしい、笑わせながら苦しくさせるバランスが、1巻の時点で完成している。
コウと月島家。若葉と青葉が「同じ日常」を別方向へ引っ張る
コウはスポーツ用品店・キタムラスポーツの一人息子で、月島家とは家族ぐるみの付き合いだ。コウと同い年の次女・若葉とは特に親しく、明るい日常の中心になる。一方で、1歳年下の三女・青葉とは犬猿の仲だ。仲が悪いのに距離は近い。ここに火種がある。
月島家は、父親と長女・一葉、次女・若葉、三女・青葉、四女・紅葉の家族だ。四姉妹の誰かが前に出ると、別の誰かが横から刺す。家族の会話の密度が高いので、コウはいつも「観客」になれない。これが青春の圧になる。
面白いのは、コウが最初から野球少年ではない点だ。野球に興味が薄い状態から、青葉の投球フォームを見て憧れ、誰にも言わずにトレーニングを始める。動機が「勝ちたい」より「見とれる」に近い。だから、コウの成長は根性論に寄りにくい。
1巻の核は「若葉の季節」。事故が物語の時間を止める
1巻は小学生編が中心で、若葉は突然の事故で亡くなる。 ここが、この作品のスタートラインだ。 事件として大きく煽らないのに、日常が突然終わる怖さは残る。
以降、コウと青葉の関係は、単純な幼なじみの喧嘩では済まなくなる。若葉を失った空白があるからだ。青葉の口の悪さも、コウの飄々とした態度も、ただのキャラ付けではなく、傷の出方として見えてくる。
1巻の段階で、すでに「青春は戻らない」という前提が置かれている。だから、笑える場面ほど切ない。
バッティングセンターと喫茶店「クローバー」が舞台として強い
この作品は学校だけで回らない。月島家のバッティングセンターと喫茶店が、日常の中心として機能している。練習の場であり、家族の場であり、コウが四姉妹と絡む舞台でもある。
野球漫画でありながら、部室のノリだけで進まないのは、この舞台があるからだ。家族の会話が入る。大人の目線が入る。食事の匂いが入る。その生活感が、青春の甘さを少しだけ現実へ寄せる。
「これ、恋なのか?」をはっきりさせない。だから感情が長持ちする
あだち充の作品は、恋愛の線を引きすぎない。『クロスゲーム』も同じで、誰が誰を好きかを断言しないまま、感情の揺れだけを丁寧に積む。1巻は特に、まだ恋の意味すら知らない少年少女の淡い感じが強い。
だから、読者は「この二人はこうなる」と決め打ちできない。決め打ちできないぶん、沈黙や視線が効く。野球の勝敗より、会話の間で心が動く。そういう漫画だと、1巻で分かる。
物語は「季節」で区切られる。1巻はまさに若葉の季節
この作品は三部構成で、第一部が「若葉の季節」(1巻)とされている。タイトル通り、若葉がいる日常と、いなくなった後の空白が、同じ巻の中に置かれる。季節の名付けが、時間の止まり方を示す仕掛けになっている。
スポーツ漫画の区切りは大会が多い。ここは季節だ。季節で区切ると、勝ち負けより、生活の変化が前面に出る。『クロスゲーム』が「青春の話」になっている理由は、この区切り方にもあると思う。
類書との比較
『タッチ』『H2』の系譜にありつつ、「喪失の後日」が濃い。
同じ作者の野球漫画で比べるなら、『タッチ』や『H2』が思い浮かぶ。どちらも野球と恋愛を絡め、日常の会話で読ませる作品だ。
『クロスゲーム』は、その系譜にありつつ、1巻の段階で「喪失の後」を正面から置く。喪失があることで、青春が軽くならない。軽くならないのに、湿度が高すぎない。笑いと生活の場面が、痛みを飲み込ませる。
また、主人公がいきなり部活エースとして君臨するタイプではない点も違う。憧れから始まる練習が、後の野球に繋がる。努力の物語なのに、努力を叫ばない。この静けさが独特だ。
読み方のコツ:1巻は「序章」ではなく、空気の土台づくりの巻
野球漫画としての盛り上がりは、これから増える。けれど、1巻を読み飛ばすと、この作品の温度が分からない。四姉妹の距離感、コウの癖、青葉の刺さり方、そして若葉の不在が作る空白。ここが後から効いてくる。
だから、派手な試合を期待して読むより、日常の会話と沈黙を味わう方が合う。読み返したときに刺さり方が変わるタイプの1巻だ。
こんな人におすすめ
- 野球の勝敗より、人間関係の温度で読める青春漫画が好きな人
- さわやかさと切なさが同居する物語を読みたい人
- あだち充作品の「言わないことで伝える」感じが好きな人