レビュー
概要
『クレヨンしんちゃん』1巻は、5歳児・野原しんのすけが、母みさえと父ひろしの常識を毎回きれいに踏み抜いていく日常ギャグ漫画の原点だ。後年の国民的イメージから入ると、初期の1巻はかなり毒気が強く、しんちゃんの下品さも遠慮がない。その一方で、単なる悪ふざけではなく、大人が当たり前だと思っている振る舞いを幼児の目線でずらしていく面白さがすでに完成している。
この巻の良さは、舞台が特別ではないことだ。買い物、留守番、来客、テレビ、外食、幼稚園まわりの出来事など、どこの家庭にもありそうな小さな場面が中心なのに、しんちゃんが入ると一気に騒ぎになる。だから読者は「そんなわけない」と笑いながらも、「子どもってこういう角度で返してくるよな」と妙に納得してしまう。日常のズレを笑いに変える力が、この1巻の本質だと思う。
この巻の読みどころ
いちばん面白いのは、しんちゃんがただ非常識なだけではなく、大人の建前や見栄を容赦なく暴いてしまうところだ。みさえが体裁を取りつくろおうとするほど、しんちゃんはそこを無邪気に壊してくる。ひろしが父親として格好つけようとする場面でも同じで、しんちゃんの一言がもっとも痛いところを突く。家族ギャグとして読むと、この「大人が負ける構造」が非常にうまい。
また、1話ごとの短さとオチの切れ味も見事だ。しんちゃんが暴れ、みさえが怒り、最後にもう一段ひっくり返して終わる。この基本形が強いので、何本続けて読んでもダレにくい。初期巻は特に、テレビアニメで丸くなった後の印象よりも毒があり、しんちゃんの返しも直球だ。そのぶん笑いの瞬発力が高く、ページ数のわりに満足感がある。
それから、野原家の空気がすでに出来上がっていることも重要だ。みさえは怒鳴っても愛情があり、ひろしは頼りないけれど根はやさしい。しんちゃんは厄介でも家の中心にいる。このバランスがあるから、下ネタや失礼な言動が単なる不快さで終わらず、家庭の騒がしさとして回収される。家族ものとしての骨格がしっかりしているので、ギャグが乱暴でも作品として崩れない。
アニメ版しか知らない人ほど面白い
アニメ版の『クレヨンしんちゃん』から入った人は、原作1巻のテンションにかなり驚くと思う。しんちゃんはもっと生っぽく、みさえの怒り方も鋭い。テレビ向けに調整される前の臼井儀人のセンスがそのまま出ていて、家庭の恥ずかしさやだらしなさを笑いに変える角度が強い。子ども向けのほんわか作品というより、「家族という面倒くさい共同体」を笑い飛ばす漫画として読むと、すごく切れ味がある。
同じ家族ギャグでも、『あたしンち』が生活の共感ネタを丁寧に拾うタイプなら、『クレヨンしんちゃん』1巻はもっと挑発的だ。読者が「そこでそれを言うか」と引く寸前まで行って、ぎりぎり笑いに変える。その危うさがこの作品の個性になっている。後発のギャグ漫画に大きな影響を与えたのも納得できる。
こんな人におすすめ
原作をきちんと読んだことがない人には、まず1巻を勧めたい。アニメの知名度は高いものの、原作の面白さは別物として読む価値が十分ある。特に、短いギャグ漫画が好きな人、毒のある家族ネタを笑える人、子どもの一言で大人が振り回される構図を楽しめる人にはかなり合う。
一方で、最初からほっこりする育児漫画の気分で開くと少し違うかもしれない。初期しんちゃんはかなり攻めている。ただ、その攻めた感じこそが本作の原液で、ここを知っていると後年のしんちゃん像も立体的に見えてくる。
感想
1巻を読み返すと、しんちゃんの「失礼さ」や「変な言い回し」が笑えるのは、単にふざけているからではなく、大人の側の脆さがちゃんと描かれているからだと感じる。みさえもひろしも完璧ではなく、見栄も怒りも疲れもある。しんちゃんはそこへまっすぐ突っ込んでくる。その構図があるから、騒がしいのにどこか家庭のリアルがある。
国民的作品の原点として読むと、ここまで尖って始まっていたのかと驚くし、ギャグ漫画として読むと単純にキレがいい。短い話の連続なのに、野原家の空気がしっかり残るので、1巻だけでもシリーズの強さが十分伝わる。大人の都合を幼児が毎回ひっくり返す快感は、今読んでも色あせない。みさえやひろしの未熟さまで笑いに変えてしまうところに、この作品の底力がある。幼児の理屈で大人社会の窮屈さを崩してしまうところも、初期しんちゃんの強さだ。読み返すほど毒と温かさの配分がうまい。初期の勢いを味わうには、やはり最初の1冊がいちばん面白い。