レビュー
概要
『伊藤潤二傑作集(1) 富江(上)』は、伊藤潤二の代表作の1つであり、デビュー作でもある『富江』を収録した傑作集の第1弾です。紹介文では、映画『富江 アンリミテッド』の原作としても触れられていて、作品の“入口”として位置づけられています。
ホラーの中でも『富江』が独特なのは、恐怖の源が「怪異が現れる」ことだけではなく、「現れるたびに、人間の欲望と嫉妬が露出する」点にあります。上巻は、その構造を読者へ刻み込む導入として機能します。
読みどころ
1) 美しさが“暴力を呼ぶ装置”として描かれる
『富江』で描かれる美しさは、癒やしではありません。むしろ、人間関係を壊し、倫理を溶かし、暴力を誘発する装置として働きます。
恐怖の対象が怪物だと、読者は「距離」を取れます。ところが美しさは、誰もが惹かれてしまう。距離が取れない。だから怖い。読者は“恐れているのに目を離せない”状態に置かれます。
2) 同じ構図が反復されることで、逃げ場が消える
『富江』の怖さは、単発のショックではありません。むしろ、似た構図が反復されることで、読者の中に「また起きる」という確信が育ちます。
人が惹かれる。関係が歪む。嫉妬が生まれる。暴力が起きる。そこで終わらない。こうした循環が繰り返されることで、恐怖が“出来事”ではなく“仕組み”になります。仕組みになった恐怖は、逃げられません。
3) 不快さが、細部の写実で増幅される
伊藤潤二のホラーは、線がきれいで読みやすいのに、描かれているものが気持ち悪い。ここに強さがあります。汚れや傷、違和感のある表情などが、細部の写実で刺さってくる。
上巻は「富江」という存在の輪郭を掴ませる巻なので、恐怖の要素が読者の目に定着しやすい。結果として、読み終えた後もイメージが残り続けます。
「富江」を入口にすると、伊藤潤二の強みが一気に分かる
紹介文では「これを読まずして伊藤潤二を語ることなかれ」と言い切るほどで、デビュー作にして代表作という位置づけがはっきりしています。第1弾として『富江』を置くのは、入口として理にかなっています。
なぜなら『富江』は、“怪異が襲ってくる”という単線ではなく、“人間の感情が崩れる”こと自体がホラーになるからです。美しさへの執着、嫉妬、所有欲、嫌悪。感情が増幅した結果として、暴力や破綻が起きる。怪異はきっかけで、人間の側が怖い。伊藤潤二のホラーの特徴が、この1冊で早い段階から分かります。
映画『富江 アンリミテッド』の原作として触れられている点も、入口としては助かります。映像化で知った人が、原点へ戻る導線として機能するからです。上巻を読み終えると、「なぜこの題材が何度も映像化されるのか」が感覚として理解できます。
そして傑作集という形も、初見には向いています。長編の連載を追うより、代表作から入ったほうが“気持ち悪さの質”が早く掴めるからです。上巻は「富江」というモチーフが何を引き起こすのかを、読者の身体感覚に焼き付ける役割を持っています。ここで慣れてしまえば、他の作品へも入りやすくなります。
ホラーが苦手な人ほど、いきなり長編より傑作集の1冊目から入るほうが良いと思います。怖さの種類(驚かせるのか、嫌悪を積み上げるのか)が分かると、読み方の心構えができるからです。『富江』は、後者の代表格としての入口になります。
富江という存在そのものが“理解できないもの”として残り続けるので、読後にスッキリしません。けれど、そのスッキリしなさが作品の強さでもあります。上巻を読み終えた時点で、答えより違和感が増える。ホラーに求めるものが「納得」ではなく「余韻」だという人には、とても合います。
感想
この本を読んで感じたのは、ホラーを「怖がらせる技術」ではなく、「人間の感情の醜さを見せる技術」として成立させている点です。怪異が怖いのではなく、怪異をきっかけに、人がどれだけ簡単に壊れるかが怖い。
傑作集の第1弾として『富江』を置くのは納得です。伊藤潤二の世界観は、いきなり難解な設定を理解する必要がありません。最初の数ページで「この作品は、こういう気持ち悪さが来る」と分かる。そして、その気持ち悪さが何度も反復され、濃くなる。上巻は、その入口として非常に強い1冊でした。
「上」と付く通り、ここで終わりではありません。第1巻は、富江という存在のルールと、読者の感情の揺さぶり方を刻み込みます。続きへ進むほど、同じ構図の反復が“慣れ”ではなく“確信”に変わり、怖さが濃くなるはずだと思わせます。
こんな人におすすめ
- ジャンプスケアより、じわじわ来るタイプのホラーが好きな人
- 怪異そのものより、人間の欲望や嫉妬が崩れる瞬間を読みたい人
- 伊藤潤二を初めて読む入口として、代表作から入りたい人