レビュー
概要
『可燃物』は、群馬県警を舞台にした警察ミステリです。主人公は葛警部。余計なことは喋らず、上司から疎まれ、部下からも「よい上司」とは見られていない。それでも捜査能力だけは卓越していて、事件を「見えていない共通項」からほどいていきます。
短編集の形式で、葛警部(葛班)が複数の事件を担当します。派手なアクションよりも、現場で得られる事実と、警察としての制約(時間、手順、人間関係)を踏まえた推理が軸です。
読みどころ
1) 「現場が動かない」状況ほど面白い
本書は、物証が少ない、あるいは「犯人像は見えるのに肝心の一点が説明できない」といった、捜査が止まりがちな状況に強いです。
たとえば「崖の下」では、遭難現場のスキー場で、頸動脈を刺され失血死した男性が発見されます。一緒に遭難していた男が犯人だとほぼ特定できるのに、凶器が見つからない。しかも、崖の下の雪は踏み荒らされておらず、凶器を捨てることも隠すことも難しい。誰がやったかより、「何をどう使ったのか」が壁になります。この「説明できない一点」に、物語のエンジンがかかります。
2) 犯人の心理より「選択の筋道」を追う
「命の恩」では、榛名山麓の〈きすげ回廊〉で右上腕が発見され、ばらばら遺体遺棄事件だと判明します。遺体を隠すだけなら、遊歩道から見える位置に一部だけ捨てるのは不自然です。ここでも問われるのは「なぜそうしたか」。動機の“言い分”より、犯行の手順が生む矛盾に注目して読み進めます。
3) 表題作は「見えない共通項」を見つける快感がある
「可燃物」では、太田市の住宅街で連続放火が起き、葛班が担当します。ところが容疑者を絞り込めないまま、犯行がぴたりと止まる。動機も、止まった理由も分からない。放火という分かりやすい犯罪を扱いながら、あえて「共通項の不在」をぶつけてくるので、捜査は霧の中へ放り込まれます。
この話の面白さは、共通点が“最初から派手に提示されない”ところです。場所、時間、被害の程度、周辺環境。ばらばらに見える断片のうち、どれを「共通項」と呼ぶべきか。その見立て自体が推理の核心になります。
本の具体的な内容
本書で印象に残るのは、葛警部の推理が「名探偵のひらめき」としてではなく、捜査の運用として立ち上がる点です。話を聞く相手、確認する順番、現場で何を見落とさないか。推理の正しさが、捜査チームの動かし方とセットで描かれます。
たとえば「崖の下」は、雪という環境が「犯行後の行動」を厳しく縛ります。踏み荒らされていない雪面は、目撃証言以上に強い制約として働きます。そこで起きるのが、凶器の不在という謎です。現場の制約から逃げずに、制約の中で成立する手段を探す。その姿勢が、短い篇の中で一貫します。
「命の恩」は、遺体の一部が「見える場所」に置かれたことが起点です。隠すための遺棄と、見せるための遺棄は、同じ“捨てる”でも意味が変わります。犯人が何を達成したくて、どんな選択をしたのか。読者もまた、行為の意味を考えさせられます。
表題作「可燃物」は、放火そのものよりも、「なぜ止まったのか」を問う構造が強いです。連続犯罪は、続くこと自体がサインです。止まった瞬間に理由が生まれる。ここを捜査の中心に据えることで、単なる犯人当てから、「犯行の成立条件」を探る物語へ変わっていきます。
舞台の地名も具体的で、利根警察署、榛名山麓、太田市の住宅街と、事件の起点になる場所がはっきり示されます。雪が足跡を残すスキー場では、“捨てられない凶器”という不在は前に出る。遊歩道のように人目につきやすい場面では、“見えるように捨てられた遺体の一部”が引っかかりとして残ります。場所が変わるたびに、犯行の制約も変わります。制約を読み解いていくのは葛警部です。
また、葛警部は「余計なことは喋らない」と明言される人物で、捜査チームの空気を盛り上げるタイプではありません。だからこそ、事件が行き詰まった場面で、ひと言の指摘が効きます。派手な独白より、捜査の方向を一段だけズラす。この“ズラし”が、短編の密度を押し上げています。
こんな人におすすめ
- 事件の謎解きだけでなく、「警察がどうやって真相へ近づくか」を追いたい人
- “派手なトリック”より、環境や手順が生む矛盾から解くミステリが好きな人
- 連作短編のテンポで、濃い推理を味わいたい人
感想
この本を読んで一番気持ちよかったのは、事件が動かないときほど、推理が鋭くなるところでした。証拠も人間関係も揃わない現場で、葛警部は「見えていない共通項」を探し当てます。大声で断定するのではなく、少ない言葉で捜査の筋道を変える。その静かな強さが、短編の密度と噛み合っていて、読み終わったあとにじわっと残ります。
2023年のミステリーランキング3冠という看板は派手ですが、本書の良さは、地味な現場の制約を最後まで手放さないところにあると感じました。だからこそ、謎が解けた瞬間の納得が強いです。