レビュー
概要
『急に具合が悪くなる』は、哲学者の宮野真生子さんと人類学者の磯野真穂さんが、病い、死、偶然、選択、他者との関係をめぐって交わした往復書簡です。宮野さんは乳がんの転移を経験しており、医師から「急に具合が悪くなる」可能性を告げられていました。その状況のなかで始まった対話が、10通の手紙として残されています。
本書を単なる闘病記として読むと、少し見誤ると思います。もちろん病気の現実は中心にあります。しかし本書の本当の核は、病気になった人が何を感じたかを一方的に語ることではなく、病いによって未来が不確実になったとき、人は他者とどのように言葉を交わすのかにあります。
読みどころ
最も印象的なのは、二人の対話が安易な励ましに流れないことです。病気の人を前にすると、周囲は「きっと大丈夫」「前向きに」と言いたくなります。けれど本書では、そのような言葉の手前で、もっと難しい問いが交わされます。選ぶとは何か。偶然にさらされるとはどういうことか。死を前にしても、他者と関係を結ぶことは可能なのか。
往復書簡という形式もよく効いています。一人称の闘病記では、読者は著者の体験を追いかける立場になりやすい。しかし本書では、宮野さんの言葉に磯野さんが応答し、その応答にまた宮野さんが返すため、読者も対話の場に巻き込まれます。自分なら何と返すだろうか、と考えずに読めません。
また、医療人類学や哲学に関心がある人にとっては、病いを「個人の身体に起きた出来事」だけでなく、「関係の中で意味づけられる出来事」として読む入口になります。病名や治療法の理解だけでは届かない、病いの経験の厚みが見えてきます。
類書との比較
闘病記として有名な本には、病気との闘い、家族との時間、死の受容を描くものが多くあります。それらはそれらで重要ですが、本書は感動的な人生記録というより、思考の過程そのものを読ませる本です。
医療社会学やナラティブ・メディスンの本と比べると、理論の説明は多くありません。そのかわり、理論が扱おうとしてきた問題が、手紙のやり取りの中で生きた形で現れます。学術書ほど体系的ではないけれど、抽象概念が身体を持って立ち上がるような読書体験があります。
同じく死生観を扱う本と比べても、本書は「死をどう受け入れるか」という結論へ急ぎません。むしろ、受け入れられなさ、不確実さ、言葉の届かなさを抱えたまま対話を続けます。この粘り強さが、本書を特別な一冊にしています。
また、ケア論の本と比べても、本書は「支える側」と「支えられる側」を固定しません。病いを抱える人が一方的に弱い立場に置かれ、周囲が正しい支援をする、という構図ではない。宮野さんの言葉は磯野さんを揺さぶり、磯野さんの応答もまた宮野さんの思考を動かします。ケアを技術ではなく、相互に変化する関係として読める点が大きな違いです。
こんな人におすすめ
病気や死について、きれいごとではなく考えたい人に向いています。身近な人が病気になったとき、何を言えばいいのかわからない人にも響くはずです。また、医療人類学、哲学、ケアの思想、ナラティブ・メディスンに関心がある人にも読み応えがあります。
一方で、すぐに元気になれる言葉や、具体的な闘病ノウハウを求める人には重く感じるかもしれません。本書は答えをくれる本ではなく、答えの出ない問いのそばに読者を座らせる本です。
感想
この本を読んで強く感じたのは、ケアとは、相手を安心させる言葉をすぐに差し出すことだけではないということです。わからないまま聞くこと。うまく言えないまま返事を書くこと。相手の苦しみを自分の物語に回収しないこと。そうした態度の難しさが、本書には刻まれています。
病いは、人の予定を壊します。未来の見通しを揺らし、自分が自分である感覚まで変えてしまいます。それでも、誰かと手紙を交わすことはできる。返事を待つことはできる。もう一度考えることはできる。本書の価値は、その小さな可能性を過剰に美化せずに示している点にあります。
映画化で再注目されていますが、映像を見る前に原作を読んでおく意味は大きいと思います。これは「病気の物語」ではなく、言葉と身体と関係性の本です。ゆっくり読むほど、あとから効いてくる一冊です。
読み終えた後に残るのは、明るい安心感ではありません。むしろ、病いを前にした言葉の不十分さです。ただ、その不十分さを知ることは、誰かの病気や死に向き合うときに大切だと思います。うまく言えないことを、うまく言えないまま差し出す。その誠実さを教えてくれる本です。