レビュー
概要
『こころは遺伝する』は、行動遺伝学の第一人者ロバート・プロミンが、性格、知能、学業成績、精神疾患リスクといった「こころ」に近い特性にDNAがどこまで関わるのかを、一般向けに整理した本です。刺激の強い主張が多い本ですが、単なる挑発本ではありません。双子研究、養子研究、ゲノム解析、ポリジェニック・スコアの話までを一本の流れにまとめ、長年の論争だった「生まれか育ちか」を、現代のデータでどう言い換えるべきかを考え直させます。
構成は二部に分かれています。第Ⅰ部では「なぜDNAが重要なのか」をテーマに、双子・養子研究、年齢と遺伝率、ジェネラリスト遺伝子、同じ家庭で育ったきょうだいの違い、機会均等と能力主義といった論点が並びます。第Ⅱ部では「DNA革命」として、DNAの基礎、遺伝子ハンティング、DNA占い、個人予測、未来の活用まで進みます。つまり本書は、古典的な行動遺伝学の方法論から、現在のゲノム予測社会までを一冊でつなぐ構成になっています。
この本の土台には、双子研究をはじめとする膨大な実証研究があります。たとえば Polderman らの大規模メタ分析は、50年分の双子研究をまとめ、多くの人間特性に遺伝的要因が一貫して関与することを示しました(DOI: 10.1038/ng.3285)。一方で、同じ家で育つ子どもが驚くほど異なるのはなぜか、という問題を掘り下げた Plomin & Daniels の議論も重要で、共有環境より非共有環境が大きい場合があることが繰り返し論じられてきました(DOI: 10.1093/ije/dyq148)。本書は、こうした知見を背景にしながら、「遺伝」という言葉が持ちやすい運命論をあえて引き受け、どこまでが統計的傾向で、どこからが誤読なのかを読者に突きつけます。
読みどころ
- 「遺伝か環境か」という古い二項対立を崩しつつ、あえて遺伝の重みを強めに打ち出している点が読みどころです。心地よい結論ではありませんが、議論を前に進める本として重要です。
- 双子研究や養子研究の説明が、単なる方法紹介で終わらず、何がわかり、何がわからないかまで含めて整理されています。ここがわかると、行動遺伝学をめぐる言説をかなり読み分けやすくなります。
- 「ジェネラリスト遺伝子」やポリジェニック・スコアの話が面白い。特定の能力に一対一で対応する遺伝子を探すのではなく、広い特性にまたがる小さな寄与の総和として個人差をとらえる発想がよく見えます。
- きれいごとで終わらない本です。教育、格差、能力主義、個人責任の問題に踏み込むため、読者は同意より先に不快感を覚えるかもしれません。しかしその不快感自体が、この本の射程の広さを示しています。
類書との比較
遺伝子関連の一般書には、DNAの仕組みをやさしく解説する本と、病気や進化をテーマにした読み物があります。本書はそれらと違って、行動や心理特性という最も摩擦の大きい領域へ正面から入っていくのが特徴です。『遺伝子――親密なる人類史』のように人類史的な広がりを描く本と比べると、本書はもっと論争的で、しかも教育や社会制度への含意が強い。
また、自己啓発的な「環境を変えれば誰でも伸びる」型の本ともかなり距離があります。本書は努力を否定するのではなく、努力や教育の効果を考える前提として、個人差の出発点にある遺伝的違いを無視するなと迫ります。そこに違和感を持つ読者ほど、読む価値があります。
こんな人におすすめ
- 遺伝と環境の議論を、感情論ではなく研究ベースで整理したい人
- 教育、発達、精神疾患、能力差の話題に関心がある人
- 行動遺伝学やポリジェニック・スコアの現在地を一般書で把握したい人
- 「同じ家庭で育ってもなぜこんなに違うのか」という疑問を深く考えたい人
逆に、遺伝の話題に強い嫌悪感がある人にはかなり刺激が強い本です。著者は読者を慰めるより、反論を呼ぶ論点を先に出してきます。その挑発に耐えられるかどうかで評価は分かれると思います。
感想
この本の最大の価値は、遺伝の話をタブーにせず、それでいて決定論へも滑り込まない微妙な線を引こうとしているところにあります。読みながら何度も、「それは言いすぎではないか」と感じる箇所があります。しかし、そう感じたときにこそ、どのデータに基づいてその主張が置かれているのかを確かめたくなる。本書はその意味で、読者の思考を受け身にしません。
個人的に印象的だったのは、「同じ家庭で育つこと」の影響を過大評価しがちな常識に切り込む部分です。親や学校の努力を完全に無意味だと言っているわけではないのに、私たちはそのように読んでしまいやすい。その読み違いがどこから来るのかを考えるだけでも、行動遺伝学がなぜここまで議論を呼ぶのかが見えてきます。
もちろん、この本の主張をそのまま社会制度へ持ち込むのは危ういです。予測技術の利用、教育政策、選抜の公平性など、倫理的な論点は山ほど残ります。けれど、その「危うさ」まで含めて読者に引き受けさせるのが本書の強さです。心地よい本ではないが、知的にはとても重要な本だと思います。