レビュー

概要

『生きとるわ』は、又吉直樹による長編小説です。公認会計士として傍目には順調な生活を送っている岡田が、高校時代の仲間・横井に500万円を貸したことをきっかけに、人生の歯車を狂わせていきます。

横井は岡田だけでなく、他の仲間たちからも借金を重ね、やがて姿をくらまします。ところが阪神タイガースのセ・リーグ優勝が決まった夜、岡田は大阪・道頓堀で横井と偶然再会します。岡田は貸した金を取り戻そうとして、さらに深いドツボへはまっていく。ここから物語は、「取り返したい」という一点に引きずられながら、静かに、しかし確実に深く沈んでいきます。

読みどころ

1) 「借金」はお金の問題であり、人間関係の問題でもある

500万円という金額は、人生の景色を変えるには十分に大きい一方、表向きは“返してもらえば終わる”話にも見えます。ところが本書は、返済が遅れるほどに、過去の関係性や立場、見栄、恐れがむき出しになっていく過程を丁寧に追います。

貸した側は「自分は正しい」という感覚を握りしめたくなる。借りた側は、正しさの前で身動きが取れなくなる。お金は具体的なのに、話し合いはどんどん抽象的になっていく。そのズレが、読む側にもじわじわ効いてきます。

2) 道頓堀の夜が、現実感のある“転換点”になっている

阪神タイガースの優勝が決まった夜の道頓堀という舞台は、ただの派手な背景ではありません。浮かれた空気、群衆の熱、偶然の再会が“あり得てしまう”感じ。岡田が横井を見つけてしまう必然性が、場の力で支えられています。

ここで再会してしまうからこそ、岡田の「取り返す」という意思は、理屈ではなく体感として固定されます。失ったお金より、失った時間や尊厳を取り戻したい気持ちが前に出てくる。その瞬間が、物語のギアチェンジになります。

3) 「闇」と「笑い」を同時に扱う

本書は、人間のやりきれなさを正面から描きつつ、どこかおかしさも同居させます。深刻なのに、滑稽でもある。自分でも理由が分からないのに、引き返せない。そういう感情のねじれが、読み味の独特さにつながっています。

本の具体的な内容

岡田は、公認会計士としての生活があり、社会的には“整っている側”に見えます。しかし横井に金を貸したことから、整っていたはずの境界線が曖昧になります。仲間内の貸し借りは、契約書や担保だけでは割り切れない。けれど割り切れないからこそ、後から責任の所在が曖昧になり、疑いが増殖します。

横井が姿をくらました後、岡田は「回収」を目標にしますが、回収のための行動は、必ずしも合理的ではありません。正しい怒りがあるのに、やり方が正しくならない。時間が経つほど、周囲の視線も変わっていく。貸した側の岡田でさえ、いつの間にか“面倒な人”に見えてしまう。その孤立が、判断をさらに偏らせます。

道頓堀での再会は、横井を捕まえれば終わる話ではなく、「再会してしまった」ことで関係が再起動する怖さを孕みます。会えば、言い訳も聞ける。希望も持てる。けれど希望は、次の失望への準備にもなる。岡田がドツボにはまっていくのは、相手の悪意だけでなく、自分の期待や焦りも混ざっていくからです。

また、横井が“岡田以外の仲間からも借りていた”という点が効いてきます。お金の問題が、当事者2人の間で閉じず、友人関係全体へ広がっていくからです。誰がどこまで知っていたのか、誰がどこまで許すのか。借金の話は、いつの間にか「高校時代の距離感」をめぐる話へ変わっていきます。

読んでいると、岡田の中で「取り返したい」の意味が少しずつズレていくのが分かります。お金を回収したいのか、なかったことにしたいのか、相手に謝らせたいのか。目的が揺れるほど、行動も揺れます。その揺れが“闇”であり、同時にどこか滑稽でもある。タイトルの言葉が、最後まで重く、でも妙に生々しく響きます。

ページ数は448ページと長めですが、舞台や状況が切り替わるたびに、岡田の見え方も少しずつ変わります。「順調そうに見える人が、どこから崩れていくのか」を追う読み方をすると、借金の話が、もっと大きな“生き方の話”として迫ってきます。

こんな人におすすめ

  • 友情や善意が、いつの間にか重荷へ変わる瞬間に興味がある人
  • お金のトラブルを、モラルだけでなく心理の動きとして読みたい人
  • 暗さだけで終わらない長編小説を探している人

感想

この本を読んで、「正しさ」は人を救うだけでなく、縛ることもあると感じました。貸した側の正しさ、返すべきだという正しさ。それ自体は崩れないのに、正しさの上に乗ってしまう感情や見栄が、現実をややこしくしていく。やりきれなさと、おかしさが同時に残る読後感は、タイトルの言葉とつながって、しばらく頭から離れませんでした。

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