レビュー
概要
『正欲』は、「多様性」という言葉が広がった社会で、何が見えなくなったのかを突きつける長編です。読みながら気持ちよく“理解者”になれない。むしろ、理解者でいようとする姿勢そのものが、相手を傷つける刃になり得ると示してくる。だから読後は爽快感より、視界の焦点がずれたような居心地の悪さが残ります。
物語は、関わりがなさそうな人物たちの視点で進みます。検事の寺井啓喜、寝具店で働く桐生夏月、大学生の神戸八重子。生活の輪郭も悩みも違う3人が、ある出来事をきっかけに、細い糸でつながっていきます。その接続の仕方が不穏で、しかも現代的です。
具体的な内容:不登校の息子、YouTubeのコメント欄、そして「まとも側」の文脈
寺井啓喜は検事として働きながら、不登校の子どもを抱えています。息子の泰希は、同じく不登校の友人とYouTubeで動画配信を始めます。小学生の遊びの延長のような配信が、コメント欄を開放した瞬間から別の顔を持ち始める。水中での息止め対決を煽るリクエストや、罰ゲームとして電気あんまを求める投稿が連投されていく。文面は欲望そのものなのに、そこに気づける人と気づけない人が分かれてしまう。その分断が、物語の空気を一気に冷やします。
桐生夏月は、その動画をある理由から執着に近い形で見続けます。夏月は“気づく側”の人間として、コメント欄の気味悪さを早い段階で察知する。しかし察知したところで、正しい行動が簡単に選べるわけではない。ここがこの小説の厄介さです。正しさが常に暴力になり得ることを、場面で見せてきます。
後半では、新たな視点として、夏月の同級生だった佐々木佳道や、八重子が思いを寄せる諸橋大也が前面に出ます。彼らはネットニュースで「児童ポルノ摘発で逮捕された小児性愛者」として報じられている。佳道は否定し、大也は黙秘を貫く。いったい何が事実で、何が解釈で、誰の正しさが誰を裁いているのか。読者は、簡単に立てるはずの倫理の柵が、どんどん頼りなくなっていく感覚を味わうことになります。
読みどころ:理解という名の検閲を、こちら側の問題として描く
この小説が怖いのは、差別の「悪人」を気持ちよく断罪させないところです。むしろ「まとも側」の文脈に入れられる範囲だけを受け入れて安心していないか、と問いかけてくる。理解とは、異物かどうかを測っているだけではないのか。そういう疑念が、登場人物の叫びとして立ち上がります。
そして、欲望は“本人が選んだもの”として語れない場合がある。そこを無視したまま、社会が「正しさ」を掲げて裁きのスイッチを入れるとき、何が起きるのか。本作は、被害者/加害者という単純な配役ではなく、言葉と視線の圧力が人を追い詰める構造を描きます。
とくに効いてくるのが、視点の切り替えです。啓喜の視点では「家庭の不安」だったものが、夏月の視点では「見えてしまうもの」として別の顔を持つ。八重子の視点では、大学という場の空気や恋心が絡んで、正しさがさらに複雑になります。視点が変わるたびに、同じ出来事の意味が変わっていく。その揺れが、現代のコミュニケーションの難しさに直結していました。
類書との比較
多様性をテーマにした小説の中には、読後に「いい話だった」と着地するものもあります。でも『正欲』は、着地させない。むしろ「その気持ちよさはどこから来たのか」と逆に掘ってくる。読者の側に宿る、善意の自惚れや思考停止を炙り出す点で、かなり攻撃的です。
同じ朝井リョウ作品でも、青春の軽快さやユーモアで救いを作る作品とは手触りが違います。こちらは救いを“用意しない”ことで、現実の問題に近づいていく。そこが記念碑的だと感じました。
こんな人におすすめ
- 「多様性」という言葉に、どこか居心地の悪さを感じている人
- 正しさを語るほど、誰かを追い詰めていないか不安になる人
- 社会のルールと個人の欲望の衝突を、物語として考えたい人
感想
この本を読んで、いちばん苦しかったのは「分かったつもりでいた自分」が揺らぐところでした。理解する側に立てば安全だと思っていた。けれど、理解する側に立つこと自体が、相手にとっては検閲の入口になることがある。その事実を、啓喜の家庭の不安や、夏月の執着、そしてニュース報道の残酷さが、別々の角度から突きつけてきます。
語り口は冷静なのに、核心に近づくほど登場人物は叫びに近い言葉を発する。そのコントラストが強烈でした。読み終えたあと、すぐに誰かと感想を共有したくなるのに、軽々しく語るのが怖くなる。そういう矛盾を残すところが、この作品の“爆弾”だと思います。
作中の「コメント欄」の描写は、いまのネットの怖さをそのまま掴んでいました。匿名の欲望が、子どもの遊びへ平気で手を伸ばす。しかも、欲望の言葉は露骨なのに、見て見ぬふりもできてしまう。だからこそ、この小説は「悪い人がいるから危険だ」と単純化しません。危険を成立させているのが、こちら側の鈍感さでもあると示す。その刺さり方が、読後も長く残りました。