レビュー
概要
『人間そっくり』は、笑えるのに笑えない、荒唐無稽なのに背筋が冷える、安部公房らしい不条理の短編です。舞台はごく現代的で、語り手はラジオ番組の脚本家。「ぼく」の家に「火星人」を名乗る男が突然やって来て、そこから会話劇のように物語が進みます。
この作品の面白さは、狂気が最初から“狂気”として現れない点です。男の言葉はでたらめなのに、どこか論理の形をしている。だから「ぼく」も読者も、反論しながらも会話を続けてしまう。会話を続けた時点で、勝負はもう始まっています。
具体的な内容:火星人の訪問と「狂人保険」
「こんにちは火星人」というラジオ番組の脚本を書いている「ぼく」のもとに、火星人と名乗る男が訪ねて来ます。男は「ぼく」のファンだと言い、妻だという女からの電話では「退院したばかりの狂人なので、30分だけ穏便に相手をしてほしい」と頼まれる。ここで「ぼく」は、逃げるより“うまく受け流す”方向を選んでしまう。
男は、ラジオ番組が打ち切りになりそうなことをなぜか知っていて、「ぼく」に小説家への転業を勧めます。しかも『人間そっくり』という題名の原稿をすでに用意し、雑誌社への売り込みも済ませてあると言う。ペンネームまで勝手に決めている。勝手が過ぎるのに、話の運びは妙に現実的で、断りづらい。
さらに男は「狂人保険」というアンケートの話を持ち出し、自分は保険の外交員だとも言い始めます。話が冗談の域を越えないようでいて、越えそうなところで止まる。この薄い膜の上で、「ぼく」は男の詭弁に翻弄され、ついには男と一緒に彼の部屋へ行ってしまう。そこが罠でした。
部屋でのやりとりの末、「ぼく」は男たちに襲われ、狭窄衣を着せられ、記憶が切断されます。気がつくと精神病院らしい場所にいて、医者と看護婦から「ここは地球か火星か」「君は人間か火星人か」と定時の質問を受ける。どちらとも言えず沈黙するしかない「ぼく」は、現実と寓話の境界が反転していく感覚に囚われます。
読みどころ:論理の形をした暴力
この短編は、暴力が腕力ではなく「論理の形」でやって来るのが怖いです。火星人の男は、相手が反論しやすい形で話し、反論したらしたで、その反論を材料に新しい理屈を積み上げる。議論しているつもりで、いつのまにか相手のルールで動かされている。
そして「ぼく」が追い詰められる決定打は、天才的な嘘ではありません。会話を続けてしまったこと、相手に合わせてしまったこと、少し乗り気になってしまったこと。日常の小さな選択の連続です。だからこそ、最後の「君は人間か火星人か」という問いが、他人事ではないものに変わります。どちらかを答えれば、世界のルールに丸ごと組み込まれてしまう。沈黙もまた、抵抗であり敗北でもある。その二重性が苦いです。
また、男が提示する原稿には別名がついていて、「トポロジー理論による人間悲劇の究明」と呼ばれます。肩書きだけは学術的で、内容は荒唐無稽。ここに、権威の仮面をかぶった言葉の怖さがあります。真面目な顔で語られるほど、人は反射的に相手の枠組みを尊重してしまう。火星人の話に付き合ううち、いつのまにか「こちらが自分を証明する側」へ回されていく。その仕掛けが巧妙です。
類書との比較
安部公房の作品には、主人公が状況の“装置”に絡め取られる話が多いですが、本作はその装置が「会話」と「設定」に寄っているのが特徴です。閉じ込められる場所が砂穴や箱でなく、言葉の迷路になっている。
同じ不条理でも、抽象度の高い寓話というより、団地や病院といった具体的な生活圏の中で狂気が起こる。だから読後の寒さが長引きます。
こんな人におすすめ
- 不条理文学を、怖さと笑いの両方で味わいたい人
- 議論や理屈が、いつのまにか人を追い詰める場面に心当たりがある人
- 短編で濃い読後感がほしい人
感想
この本を読んでいちばん残ったのは、火星人の男の“話の上手さ”です。荒唐無稽なのに、相手を会話に引きずり込む技術だけは現実的すぎる。だから「ぼく」が逃げられないのも分かってしまう。怖いのは、狂気の側の理屈が強いことではなく、こちらがそれに合わせてしまうことでした。
ラストの病院の場面は、笑えない笑いとして効きます。質問は単純で、答えは不可能。沈黙しか選べない状態に追い込まれたとき、人はどこまで自分を保てるのか。短編なのに、読み終えたあとも頭の中で問いが反響し続ける一冊です。
物語の出発点が「ラジオ番組の脚本家」なのも好きです。主人公は言葉で世界を作る仕事をしています。ところが、その主人公が言葉で作られた“火星人”の設定に巻き込まれ、現実の側がぐらついていく。ここにブラックユーモアがあります。創作は本来自由なはずです。しかし一度設定に縛られると、牢屋になります。その感覚が、短いページ数の中で鮮明に刻まれます。