レビュー

概要

『かくかくしかじか 1』は、漫画家・東村アキコが「美大受験」を目指していた高校時代から、恩師との関係を振り返る自伝的コミックです。主人公(=作者)は絵が好きで、夢もある。けれど、やるべきデッサンはサボりたくなるし、根拠のない自信もある。そんな“若さの雑さ”を、絵画教室のスパルタ講師・日高先生が真正面から叩き直していきます。

第1巻の面白さは、努力物語の気持ちよさだけでなく、努力の前にある「言い訳」や「先延ばし」まで描いてしまうところです。美大受験という題材は特殊に見えますが、読むと普遍的で、「本気になりたいのに、楽をしたい自分」がそのまま出てきます。

読みどころ

1) 日高先生の「描け!」が、ただ怖いだけじゃない

日高先生は怖い。理不尽にも見える。でも、怖さの奥に「お前は描ける」という前提がある。怒鳴るために怒鳴っているのではなく、逃げ道を塞いで“描くしかない状況”を作っている。その圧が、読みながらじわじわ効いてきます。

2) 美大受験のリアルが、具体的

木炭デッサン、石膏像、カルトン、構図、陰影。単語として知っていても、どれだけ手を動かすかは別問題です。第1巻は「上手く描く」以前に「毎日描く」をどう成立させるかが中心で、努力の泥臭さが出ます。

3) 主人公の“ダメさ”が笑えるのに、他人事じゃない

サボり、見栄、逃げ、楽観。主人公はわりとひどい。でも、ひどいからこそリアルで、読み手は笑いながら「分かる」と思ってしまう。ここが自伝漫画として強いです。

本の具体的な内容

物語は、主人公が「美大に行きたい」と思いながらも、受験の現実を甘く見ているところから始まります。学校の成績や部活の延長で何とかなる、という感覚のまま絵画教室に通い始める。しかし日高先生の教室は、趣味の絵ではなく“受験の絵”を叩き込む場所で、1枚のデッサンに何時間も向き合う世界です。

日高先生は、褒めて伸ばすタイプではありません。線が甘ければ叱る。形が崩れればやり直し。描けていないものを「描いたこと」にさせない。主人公は最初、その厳しさを受け止めきれず、言い訳を探したり、サボりを正当化したりします。でも、サボった分だけ絵は出る。だから誤魔化しが効かない。第1巻は、その「誤魔化しが効かない世界」に主人公が追い込まれていく過程が描かれます。

さらに印象的なのは、日高先生の怒りが“技術”より“姿勢”に向く場面が多いことです。上手い下手の前に、机に向かっているか。手を動かしているか。逃げずに見ているか。美大受験のテクニック本ではなく、修行の入口としての物語になっています。

舞台はやがて、地方の高校生が「金沢美術工芸大学」のような難関を目指す緊張感へつながっていきます。都会の美術予備校の情報が少ない中で、先生の指導がほぼ“唯一の地図”になる。だから主人公は反発しつつも、先生に縋るしかなくなる。この関係の不器用さが、第1巻の芯です。

加えて、第1巻は「技術が伸びる瞬間」よりも、「伸びる前に潰れそうになる瞬間」をよく描きます。描けないのを隠したくて口だけ達者になる、課題に手を付ける前に机の周りを片づけたくなる、他人の絵を見て焦るのに家では描かない。そういう小さな逃げが積み重なっていく感覚が、日高先生の一喝でいったん全部ひっくり返される。その繰り返しが、この巻の読み応えになっています。

日高先生の指導はスパルタですが、作品のトーンは暗さ一辺倒ではありません。主人公の言い訳の立て方、都合のいい自己評価、反省したふりのテンポがいちいち可笑しくて、笑っているうちに「自分も似たことをしているかもしれない」と刺さってくる。自伝漫画としての痛さと、コメディとしてのキレが同居しているところが、第1巻の強みです。

類書との比較

美大・芸大を題材にした作品は、才能や表現の“華やかさ”が前に出やすい印象があります。一方でこの巻が主役にするのは、華やかさの手前にある「デッサンをやり切る体力」と「逃げない姿勢」です。上手くなる話というより、上手くなるために今日やることを決める話。そこが、よくある青春・成長ドラマと違う読み味を作っています。

同じ作者の作品でも、キャラクターの勢いで突っ走るコメディ寄りの漫画と比べると、この巻は“感情の回収”が遅いぶん、後から効いてきます。笑わせながら、恩師に対する後ろめたさや感謝の芽を静かに植えていく。その仕込みが第1巻から始まっているのが印象的でした。

こんな人におすすめ

  • 努力物語が好きだけど、綺麗にまとめない作品が読みたい人
  • 受験や資格など、「実力勝負」で逃げ道がない経験がある人
  • ものづくりを始めたいのに先延ばししてしまう人
  • 美大・芸大の受験や、デッサンに興味がある人

感想

この巻を読んで一番刺さったのは、才能の話より「姿勢」の話でした。主人公は絵が好きで、夢もある。でも、好きと本気の間には距離があって、その距離を埋めるのは“毎日描く”しかない。日高先生はその残酷な正解を、優しく包まずに突きつけてきます。

怖い先生の話として笑えるのに、読み終えると妙に背筋が伸びる。何かを上手くなりたいなら、まず机に向かう回数を増やす。誰にでも分かっているのに、誰もがサボること。第1巻は、そのサボりを笑って、同時に止めに来る一冊でした。

もう1つ良かったのは、日高先生の怖さが「恐怖」だけで終わらず、いつの間にか“信頼”の形に変わっていく点です。怒鳴られるのが嫌で通うのをやめる、という逃げ道が普通に見えるのに、主人公は結局、先生のいる場所に戻ってしまう。厳しさの奥に「描けるようにする」という目的が見えるからこそ、逃げても未練が残る。その心理のリアルさが、この巻をただの受験漫画にしない要因だと思いました。

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