レビュー
概要
『この世の喜びよ』は、第168回芥川賞受賞作「この世の喜びよ」を含む小説集です。収録作は「この世の喜びよ」「マイホーム」「キャンプ」。日常の中の小さな場面が、ある瞬間に不穏さへ傾き、しかし単純な恐怖では終わらない——そんな“感情の揺れ”を、文章の密度で押し切るタイプの作品です。
表題作では、近所のショッピングセンターの喪服売り場で働く「あなた」が、フードコートの常連の少女と知り合う。そこから、関係はなだらかに続くのではなく、何かがずれていく。読み手は「何が問題なのか」を簡単に言えないまま、ページを進めることになります。
読みどころ
1) 生活の光が、影を際立たせる
喪服売り場、フードコート、ショッピングセンター。どれも、ありふれています。だからこそ、そこで起きる小さな違和感が強く残ります。
この作品が上手いのは、劇的な事件で驚かせないところです。むしろ「何も起きていないのに、空気が変わる」。その変化を文章で作ってきます。
2) 説明しないことで、読者の感情が動く
読後に残る感情を、作者が“言い切らない”。読者は、言い切れない感情を自分の中で処理するしかなくなる。
この余白が、短編集としての強さになっています。読み終わってから、場面が戻ってくる。人によって解釈が割れる。それでも、手触りが残る。芥川賞の短編に期待するタイプの読み味です。
3) 「家」や「親子」の輪郭が、静かに変形する
収録作の中には、家や家族をめぐるモチーフが出てきます。家は安心の場所のはずなのに、安心しきれない。親子は近い関係のはずなのに、距離が測れない。
こういう「近いからこそ言いづらい」ものを、言葉にしすぎず、しかし避けずに描く。そのバランスが独特です。
類書との比較
“日常の違和感”を描く作品は多いですが、本作は、分かりやすいオチで収束させません。怖い話として回収もしないし、救いの物語として丸めもしない。
だから、軽い気持ちで読むより、短い時間でも集中して読むほうが良いと思います。文章の密度に身を預けたほうが、体験として残ります。
こんな人におすすめ
- 芥川賞作品で「言葉の圧」を味わいたい人
- 日常の中の違和感を描く小説が好きな人
- 読後に解釈が割れる作品を楽しめる人
- 大きな事件より、空気の変化に惹かれる人
本の具体的な内容(収録3編の手触り)
収録は「この世の喜びよ」「マイホーム」「キャンプ」。それぞれ舞台は違いますが、共通しているのは「関係の距離が測れない」感覚です。
- 「この世の喜びよ」:近所のショッピングセンターで働く“あなた”と、フードコートの常連の少女。親切とも支配とも言い切れない関係が、静かに形を変えていく。
- 「キャンプ」:少年が、子どもがいない叔父とともに、父子連れのキャンプに参加する。自然の中で、家族という単位の輪郭がずれて見える。
- 「マイホーム」:題名だけで“安心”を想像しますが、読むほどに安心が揺らぐ。家や生活が、感情の置き場にならない瞬間が描かれます。
説明されすぎない分、読者は自分の経験で穴埋めすることになります。そこが刺さる人には深く刺さります。
合わないかもしれない人
分かりやすい筋や、気持ちよく回収される結末を求める人には合わない可能性があります。また、文章の密度が高いので、疲れているときに読むと「重い」と感じるかもしれません。
ただ、余白があるからこそ、後から効きます。短い時間でも集中して読むほうが、この本の良さが出ます。
読み方のコツ
おすすめは、1編ずつ間を空けずに読むことです。短編集は気分で飛ばしがちですが、本作は3編が互いに“響き”を作ります。続けて読むと、家・親子・生活というモチーフが、少しずつ別の角度から立ち上がってきます。
感想
この本を読んで残ったのは、「喜び」という言葉の不穏さでした。喜びは明るいはずなのに、なぜか落ち着かない。読んでいると、日常の光が強いほど、影も濃くなる感覚があります。
そして、この不穏さは“怖がらせるため”ではなく、たぶん現実の感情の形に近い。人は、喜びだけを純粋に受け取れない瞬間があります。関係が近いほど、期待や恐れや罪悪感が混ざる。そういう複雑さが、作品全体に漂っています。
読み終えたあと、言葉にしにくい余韻が残ります。好き嫌いは分かれるはずです。ただ、「説明されすぎる物語」に疲れているときには、この余白が心地よい。すぐに分かる答えより、後から効いてくる本だと思いました。