レビュー
概要
『存在のすべてを』は、塩田武士による長編社会派ミステリーです。1991年に発生した二児同時誘拐事件から30年後、新聞記者の門田が、旧知の刑事の死をきっかけに事件の真相を追い直していきます。
文庫版は2026年4月7日に朝日文庫から刊行。単行本は第9回渡辺淳一文学賞を受賞し、2024年本屋大賞で第3位に入った作品です。2027年2月5日公開予定の映画化も発表され、文庫化を機に再注目されています。
読みどころ
最大の読みどころは、誘拐事件の謎を追うミステリーでありながら、事件に巻き込まれた人の人生を深く見つめる点です。真相を知ることが必ずしも救いになるとは限らない。取材する側の正義と、沈黙を守ってきた当事者の時間がぶつかるところに緊張感があります。
もうひとつ重要なのが、写実画というモチーフです。写実は現実をそのまま写す行為に見えて、実際には「何を見るか」「何を描かないか」の選択を含みます。この構造が、新聞記者の再取材や事件の記録と重なり、タイトルの意味を深くしています。
類書との比較
同じ塩田武士作品では『罪の声』に近い読み応えがあります。社会的事件、報道、取材、時間の経過によって変化する当事者の人生を扱う点で共通しています。
ただし、『存在のすべてを』は、写実画と「見ること」のテーマが強く出ています。事件の真相に迫るだけでなく、人の存在をどこまで理解できるのかという問いが残るため、読後感はより静かで重いです。
こんな人におすすめ
- 社会派ミステリーが好きな人
- 映画化前に原作を読んでおきたい人
- 本屋大賞上位作品や文学賞受賞作を追っている人
- 報道、取材、記憶、家族を扱う重厚な小説を読みたい人
- じっくり長編を読む時間を取りたい人
感想
読み終えて残るのは、事件の答えよりも「人を知るとは何か」という問いです。
記録に残るもの、語られるもの、描かれるもの。それらは確かに人を理解する手がかりになります。でも、それだけで存在のすべてを捉えられるわけではありません。だからこそ、門田の再取材は希望にも見えるし、危うさもあります。
文庫版は568ページと厚めですが、その長さには意味があります。30年という時間、沈黙の重さ、少しずつ見えてくる真実を急がず読ませる作品です。映画化で注目される前に、まず原作の余韻を味わっておきたい一冊です。