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レビュー

概要

『国宝 (上) 青春篇』は、歌舞伎の世界を描いた小説でありながら、いわゆる芸道ものの枠だけでは収まらない一冊です。主人公の立花喜久雄は、長崎の任侠の家に生まれ、父を抗争で失ったことをきっかけに、上方歌舞伎の名門へ引き取られていきます。ここで物語が面白いのは、外の世界から来た少年が、血筋と家を重んじる梨園の内部へ入っていく構図が最初からはっきりしていることです。歌舞伎を知らなくても、この「家に生まれた者」と「才能で食い込む者」の緊張だけでぐいぐい読めます。

上巻の中心は、喜久雄が歌舞伎の世界でどう立ち上がっていくかです。雑用や稽古に追われる部屋子としての時間、舞台に立つため身体そのものを作り替えていく過程、そして名門の御曹司である俊介との並走。友情と競争が最初から同じ場所に置かれているので、単なる青春小説よりずっと密度があります。読む側は、二人が仲間であってほしい気持ちと、同じ舞台に立つ以上は無傷で済むはずがないという予感を同時に抱かされます。

読みどころ

本書の強さは、歌舞伎を「高尚な伝統芸能」として遠くから飾らず、汗と執念の世界として描いているところです。白粉や衣装の美しさだけでなく、稽古で削られる身体、先輩後輩の序列、家の名前に背負わされる重みまで書き込まれるので、舞台裏の空気がかなり生々しいです。喜久雄にとって芸は憧れではなく、生き残るための道でもあります。その切迫感があるから、華やかな場面ほど裏にある孤独が際立ちます。

特に印象に残るのは、喜久雄と俊介の関係です。俊介は名門に生まれた正統派で、喜久雄は外から入ってきた異物です。ふたりは互いに刺激し合う相手ですが、同時に相手が持っているものを自分は持てないという痛みも抱えています。俊介には血筋と家があり、喜久雄にはそれを脅かすほどの美貌と才気がある。この非対称さがずっと効いていて、どちらか一方を単純に応援する読み方ができません。芸の世界で並び立つこと自体が、すでに残酷なのだとわかります。

上巻の舞台場面では、文章だけで身体の動きまで浮かびます。とくに道成寺のような見せ場では、視線の流れや間の取り方まで小説のリズムへ組み込まれています。歌舞伎を知らない読者にも、舞台の異様な熱気がそのまま伝わります。映像的というより、むしろ身体感覚が文章へ変換されている印象です。ここに大きな魅力があり、芸そのものが物語を前へ押しています。

また、任侠の世界と歌舞伎の世界が意外なほど地続きに見えてくるのも面白いです。どちらも家を背負い、親への忠義が重く、身体ひとつで立つ世界です。表向きの品格の裏に、泥臭い人間関係と見栄と意地がある。喜久雄が両方の世界の匂いを知っているからこそ、歌舞伎の美しさが単なる上澄みではなく、傷や暴力性を含んだものとして立ち上がります。

類書との比較

芸道小説というと、修業を積んで成長していく職人譚を想像する人が多いと思いますが、本書はもっと人間ドラマの振れ幅が大きいです。芸の習得だけでなく、血筋への劣等感、嫉妬、家に受け入れられるかどうかという不安が常にあるため、努力がそのまま報われる話にはなりません。むしろ、才能があるほど周囲をざわつかせ、本人も壊れていく危うさがあります。

同じ吉田修一の小説でも、『悪人』のように社会の暗部を照らす作品とは感触が異なりますが、人間を美化しない点は共通しています。『国宝』ではその視線が、歌舞伎という眩しい世界の裏側へ向けられています。綺麗な世界の話を読んでいるはずなのに、読後に残るのは美しさと同じくらい執念の手触りです。

こんな人におすすめ

芸能や伝統芸能を題材にした小説が好きな人にはもちろん向いています。とくに、人がひとつの道に取りつかれていく話を好む人へ強くすすめたいです。友情と競い合いが混ざる関係に惹かれる人には合います。才能と家柄のズレが生む苦しさを読みたい人、華やかな世界の裏側にある泥臭さを味わいたい人にもかなり刺さるはずです。逆に、軽く前向きな成長物語を期待すると、想像よりずっと苦く、重いと感じるかもしれません。

感想

この上巻を読んで一番残るのは、喜久雄が「芸に選ばれてしまった人」として描かれていることでした。本人の努力や意志だけでは説明しきれない引力があって、舞台に近づくほど人間として楽になるのではなく、むしろ逃げ道を失っていく。その感じがとても怖いです。俊介との関係も、青春小説なら支え合いとして読める場面があるのに、この作品では支えと脅威が同居していて、読んでいてずっと緊張します。

歌舞伎小説と聞くと敷居が高そうに見えますが、この本は知識がなくても問題ありません。むしろ知らないからこそ、喜久雄が中へ入っていく感覚と一緒に読めます。舞台のきらびやかさに圧倒される一方で、その裏にある家の論理、男たちの見栄、身体を削るような修練まで全部見せられるので、読み終えるころには「美しい世界」の意味がかなり変わって見えます。

上巻だけでも完成度は高いですが、これは明らかに下巻へ向けて熱をためていく巻です。喜久雄と俊介がここからどういう形で芸の道を分かち、絡め取られていくのかを確かめずにはいられません。芸の世界を描いた小説としてだけでなく、ひとりの人間が宿命のように舞台へ吸い込まれていく物語として、かなり強い上巻でした。

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