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レビュー

概要

『忘却のサチコ(1)』は、結婚式当日、婚約者に逃げられた編集者・佐々木幸子が主人公のグルメ漫画です。強烈な喪失感を抱えたまま、彼女は仕事と食事に向き合います。タイトルの「忘却」は、嫌なことをなかったことにする意味ではありません。おいしいものを食べているあいだだけ痛みから少し自由になる感覚を指しています。第1巻は、サチコの几帳面すぎる性格と、食事の時間だけ見せる異様な高揚感がきれいに噛み合い、独特の笑いと切なさを生んでいます。

本作の面白さは、グルメ漫画でありながら、料理そのものより「食べることで心がどう動くか」に強く焦点があることです。サチコは有能で真面目ですが、婚約者に去られた傷をまったく処理できていません。その不器用さが、食事の場面になるとむしろ武器になります。味、香り、食感、店の空気に全神経を集中させることで、彼女は一瞬だけ世界を立て直します。

その意味で本作は、食事をぜいたくやご褒美として描くだけの漫画ではありません。食べることが心の避難所になる瞬間を、かなり真顔で描いています。サチコが料理へ没入する勢いはコミカルですが、その根っこにある切実さはずっと消えません。笑えるのに軽くならない理由はここにあります。

読みどころ

最大の読みどころは、サチコの性格とグルメ描写の相性です。彼女は仕事では完璧主義で隙がなく、感情を表に出すのも苦手です。ところが食事の場面になると、その集中力がすべて「おいしさの分析」に向かいます。料理の描写自体は誇張があるのに、サチコの反応はどこか論理的で、そのアンバランスさがとても面白いです。

また、各話に出てくる店の選び方も上手いです。

高級店ばかりではありません。

街の定食屋、喫茶店、出張先の店など、現実に手が届きそうな店ばかりです。

読んでいて「これなら自分も試したい」と思えます。

単なる飯テロ漫画ではありません。食べる場所ごとにサチコの気分のほどけ方が違います。

店そのものが短編ドラマの舞台として機能しています。

さらに、笑えるのに痛みが消えないバランスも良いです。サチコは食べている間こそ幸せですが、根本の喪失が解決したわけではありません。この「食べたら全部忘れて大団円」にならない感じが、本作をただの癒やし系グルメ漫画にしていません。料理は逃避でありながら、同時に立ち直るための小さな足場にもなっています。

仕事漫画として読めるのも意外な強みです。サチコは優秀な編集者で、段取りや気遣いは一流です。だから食事の場面だけ崩れるのではなく、仕事の緊張を食でほどく流れにも説得力があります。食べることと働くことが切れていないので、単なる趣味漫画より生活に近い手触りがあります。

類書との比較

『孤独のグルメ』が食事そのものの幸福を静かに味わう作品だとすれば、『忘却のサチコ』はもっと感情の回復に寄っています。食べる前の不安や痛みが強く、そのぶん一口目の解放感も大きいです。『きのう何食べた?』のように関係性を積み上げる料理漫画とも違います。本作では、一人で食べる時間そのものが心の応急処置になります。そこに独自性があります。

こんな人におすすめ

  • 食事で気分を立て直したい人に向いています。
  • 心理描写が濃いグルメ漫画を読みたい人に合います。
  • 仕事は有能だが私生活は不器用な主人公が好きな人にもおすすめです。

逆に、悩みを軽く笑い飛ばす話を求めると少し切なさが残ります。ただ、その余韻こそ本作の魅力です。

感想

第1巻を読んでまず良かったのは、サチコが「かわいそうな人」に固定されていないことです。婚約者に逃げられるというかなり大きな出来事を抱えていますが、彼女自身の仕事ぶりや几帳面さがきちんと描かれているので、人物が立っています。そこへ食事の場面だけ異様なテンションで突っ込んでいくから、笑えるし、同時に応援したくもなります。

また、食べることをここまで真剣に描きながら、単なる食欲礼賛にしていないのも好きでした。食事は万能薬ではないけれど、今日をやり過ごすには十分な力になる。その現実的な効き方がちょうどよく、読後に不思議と元気が残ります。グルメ漫画としても、心の立て直しの話としても強い第1巻でした。

食で人生が全部変わるわけではないけれど、今日は少し前へ進める。そのくらいの回復がいちばん現実的で、だからこそ信じやすいです。おいしいものを食べたあとに少し呼吸が戻る感覚を知っている人なら、この漫画の良さはかなりまっすぐ届くと思います。

食事で完全に救われる話ではなく、明日へ持ちこたえる話として読めるのも良かったです。無理に元気づけない温度が、この作品にはあります。

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    佐々木 健太

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