レビュー
概要
『源氏物語 あさきゆめみし 完全版』は紫式部の名作を少女マンガ風に再構成した再話で、第1巻では光源氏が初めて菊壺の更衣と出会うところ、紫の上との運命の邂逅、そして光源氏の光背を象徴する化粧の技法が語られる。「あさきゆめみし」とは、夢と現を往復する語りであり、肉体と心のあらゆる差異を漂わせながら、源氏の華やかな恋路を描き出す。大和和紀独自の透明感のある線と余白感が、雅な世界とその裏にある欲望の対立を浮かび上がらせる。
読みどころ
- 光源氏が通常の貴族とは違う理想を抱いていることは、最初の物語でいきなり語られる。彼が「憧れの女性」を美術品のように扱うだけでなく、相手の心を読み解く努力をする描写は、従来の光源氏像と異なる角度を提供。
- 紫の上の養育をめぐるエピソードでは、源氏の子どもとして彼女を育てるための剛毅と慈しみが混ざり合い、実子としての期待と女としての対象化の境界が繊細に描かれる。背景に広がる絵巻風のパターンや、衣装の透け感が時間軸を曖昧にしている。
- 女性キャラクターの視点を丁寧に追う構成が特徴で、桐壺更衣の苦悩、若紫の抵抗、藤壺の静かな涙が「恋愛の美学」を形成する。三味線の音を視覚化した描写や、扇面のパターンによるコマ割りが、感情を色彩で語らせる達成を見せている。
類書との比較
平安文学再話としては『阿倍野なぎさの源氏物語』の繊細な色彩感覚に近いが、こちらは少女マンガ的な人物の感情の動きを前面に押し出す。『あさきゆめみし』の単行本版が伝統的な古典教養に寄っていたのに対し、この完全版はマンガ表現の現代性を取り込み、読者の視点を複数に広げている。『ちはやふる』が競技を通じて古典を新しく感じさせるように、源氏物語の漂う美意識をリズムに置き換えた点に意義がある。
こんな人におすすめ
- 古典文学をはじめてマンガで読もうという読者。
- 平安貴族の恋愛や感性の揺れを視覚的に体感したい人。
- 絵巻や和装、色彩による心理描写に興味がある読者。
感想
源氏の視点だけでなく、周囲の女性たちがかたちづくる「美学のネットワーク」を観察するように物語が進むのが新鮮だった。紫の上を導くために源氏が選ぶ言葉、そして桐壺の悲哀が交互に差し込まれる構成ゆえに、単なる恋愛譚ではなく、一種の儀礼のような緊張を感じる。読後には、一瞬の夢と醒めた現実の間を行き来する気分がじわりと残るという意味で、この完全版は注文品を越えて心に届く再話だった。