レビュー
概要
『フォーキャスト2026 〜世界経済12のトレンドと日本の勝ち筋〜』は、国際政治学者・藤井厳喜氏が2026年の世界経済の行方を12のトレンドに整理して分析した一冊だ。シリーズ累計購入者数は16万人を突破しており、過去の的中率は約8割を誇る。344ページというボリュームで、円安、AI、地政学リスク、日本経済の復活シナリオまでを網羅的に扱っている。
藤井氏はハーバード大学大学院でエズラ・ヴォーゲル教授に師事し、博士課程を修了した国際政治学の専門家だ。株式会社ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ・オブ・ジャパンの代表取締役でもあり、40年以上にわたって世界経済の予測を発信し続けている。
本書の最大の特徴は、「政治の動きから経済トレンドを導き出す」というアプローチだ。金融データや経済指標の延長線上で予測するのではなく、地政学的な変動を起点として経済の方向性を読み取る。特に2020年代は政治的不確実性が経済を直接左右する時代であり、このアプローチには合理的な根拠がある。
読みどころ
本書の読みどころは多岐にわたるが、特に以下の3つが印象に残る。
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ドル円相場の長期展望: 藤井氏はかねてから円安時代の到来を予測し、それが的中した実績を持つ。本書でも150円〜165円レンジを前提としたシナリオを展開しつつ、円安を「危機」ではなく「好機」として捉える視点を提示している。輸出企業の競争力向上、インバウンド需要の拡大など、円安環境下での日本経済の勝ち筋が具体的に描かれている点は、他の経済予測本にはない独自の視座だ。
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AIブームの構造分析: AIサーバー市場の拡大、ヒューマノイドロボットの商用化、半導体サプライチェーンの再構築など、AIを単なる技術トレンドとしてではなく、地政学的なパワーバランスを変える要因として分析している。米中のAI半導体を巡る覇権競争が、関税政策や輸出規制という形で経済全体に波及するメカニズムの解説は、投資家だけでなく、ビジネスパーソンにとっても有益だ。
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日本経済35年ぶりの復活シナリオ: バブル崩壊以来、初めて日本経済が「普通の成長経済」に回帰する可能性を論じている。2026年春闘で5%程度の賃上げが実現し、実質賃金がプラスに転じるシナリオは、デフレマインドに慣れきった読者にとって新鮮な視点を提供する。ただし、財政の持続可能性というリスクも正直に提示されており、楽観一辺倒にはなっていない。
類書との比較
世界経済の展望を扱う書籍として、エコノミスト誌の年次予測本『The World Ahead』シリーズや、IMFの「世界経済見通し」がある。これらは世界経済全体をバランスよくカバーするものの、日本経済への言及は限定的だ。
日本発の予測本としては、大前研一氏の著作や野口悠紀雄氏の著作などがあるが、藤井氏の特徴は「政治→経済」という因果分析の一貫性にある。経済データの延長線上で予測する手法ではなく、地政学的変動を起点に経済トレンドを読み取るため、トランプ政権の政策変更や米中対立のような「非連続的な変化」を捉えやすい。
また、フィリップ・テトロック『超予測力』が示した「優れた予測者は自分の予測を記録・検証・修正し続ける」という条件を、40年にわたるシリーズの中で実践し続けている点は他の予測本にはない強みだ。過去の予測と結果の照合が掲載されているため、読者自身が予測の信頼性を検証できる透明性も評価に値する。
一方で、注意すべき点もある。藤井氏は保守的な政治的立場を持つ論者であり、国際情勢の分析にその視点が色濃く反映される場合がある。批判的な目を持って読むことで、むしろ思考の幅が広がるだろう。
こんな人におすすめ
以下のような人にとって、本書は大きな価値を持つ。
投資判断の材料がほしい個人投資家: 円安、AI、エネルギー、ゴールドなど、投資に直結するテーマが網羅されている。ただし、本書の情報だけで投資判断を下すのではなく、複数の情報源と照合した上で自己判断することが重要だ。
国際情勢に関心があるビジネスパーソン: サプライチェーンの再構築、米中デカップリング、インバウンド需要の拡大など、ビジネス戦略に直結するテーマが多い。特にグローバルに事業を展開する企業の担当者にとっては、意思決定の参考材料となる。
世界の変化を俯瞰的に理解したい人: 政治、経済、テクノロジー、地政学を横断的に分析しているため、「今、世界で何が起きているのか」を体系的に把握できる。ニュースの断片的な情報に振り回されがちな人にとって、全体像を掴むための「地図」となるだろう。
逆に、以下のような人にはやや不向きかもしれない。
特定のセクターの深い分析を求める専門家: 12のトレンドを344ページで扱うため、個々のテーマの掘り下げには限界がある。AI、半導体、エネルギーなど個別セクターの詳細分析を求めるなら、専門書を併読した方がよい。
政治的に中立な分析を求める人: 著者の政治的立場が分析に影響する部分がある。ただし、それを前提に批判的に読むことで、かえって自分の考えを鍛える材料になる。
感想
本書を手に取ったきっかけは、研究室の読書会で「2026年の世界経済をどう見るか」が議題になったことだった。院生同士で議論するうちに、「自分なりの世界経済の見通しを持つ」ことの重要性を実感した。
344ページの中に情報が凝縮されており、一読で全てを消化するのは難しい。しかし、読み返すたびに新しい発見がある構成になっている。特にドル円相場と日本経済の復活シナリオに関する分析は、データに基づいた説得力があり、個人の資産運用やキャリア判断に具体的な示唆を与えてくれる。
予測本に対しては常に批判的であるべきだ。「8割の的中率」がどのような定義に基づくのか、方向性が合っていたのか具体的な数値が当たったのかで評価は異なる。しかし、40年間にわたって予測を記録・検証し続けてきた実績は、少なくとも著者の知的誠実性を示している。
本書の最大の価値は、「正解を教えてくれる」ことではなく、「自分の頭で考えるための材料を提供してくれる」ことにある。不確実な時代において、複数のシナリオを持ち、データに基づいて判断する力は、投資家にとってもビジネスパーソンにとっても不可欠だ。その意味で、本書は2026年を生きる全ての人にとっての「知的装備」と言える。
読後に実践してほしいのは、自分なりの2026年の経済見通しを書き出してみることだ。楽観シナリオ、中立シナリオ、悲観シナリオの3つを設定し、それぞれの確率を割り振る。1年後に見返したとき、自分の判断力がどれだけ正確だったかを検証できる。この「予測と検証のサイクル」こそが、不確実な時代を生き抜くための最も確実な方法だと考えている。