レビュー
概要
『愛を科学で測った男』は、心理学者ハリー・ハーロウの生涯と、彼が行ったサル実験をめぐる歴史を、ドキュメンタリーとして描いた本です。赤ちゃんザルが布製の「母親」にしがみつく、いわゆる代理母実験はあまりにも有名です。一方で、その背景にあった当時の常識や、実験が社会へ与えた影響、そして倫理的な重さは、断片だけではつかめません。本書はその全体を、丁寧な取材で追い直します。
レビューでも、大学の心理学講義でハーロウを知った人が、ダークサイドも含めた業績を詳しく理解できた、と述べています。発達心理学への影響だけでなく、動物実験の倫理を考える上でも重要な内容が含まれる。こうした読み方が似合う本です。
読みどころ
1) 「愛着は乳で説明できる」という時代の空気から始まる
印象的なのは、最初から実験の話へ飛び込まず、時代背景を置く点です。あるレビューでは、100年前には「赤ちゃんを抱きしめることは良くない」とされていた、と語られています。今の感覚だと信じがたい話ですが、当時はそれが常識でした。
その前提があると、代理母実験の意味が変わります。残酷な実験という側面があるのは事実です。けれど、なぜその実験が必要だと考えられたのか。何を反証しようとしたのか。そこが見えてきます。
2) 代理母実験と隔離実験の「結果」だけで終わらない
本書は、物議を醸した隔離実験にも触れつつ、ハーロウの人生や学会内での立場、周囲の研究者との関係を描きます。レビューには、マズロー(欲求段階説で知られる心理学者)が、ハーロウの生徒で共同研究者だったという言及もあります。研究は、個人の天才だけで進むわけではありません。学会の潮流や人間関係も含めて動きます。
だからこそ、単なる実験史ではなく、心理学の「社会史」になっています。何が支持され、何が拒まれ、どの言葉が広がったのか。そこを追えるのが読みどころです。
3) 「異端」の仮面の下にある動機が見える
紹介文では、ピュリッツァー賞受賞のサイエンスライターが、破天荒な人生と愛の心理学の変遷を描くとされています。レビューでも、異端の心理学者というヴェールをはがすと、赤ちゃんを抱きしめる母親を守ろうとした男性の姿が見える、と語られています。
科学は冷たいものだと思われがちです。けれど、何を研究課題にするかには、社会への怒りや疑問が混ざります。本書は、その混ざり方を隠さずに描きます。
読み進めるコツ
この本は、代理母実験の是非を白黒で裁く読み方より、「なぜそういう研究が支持され、なぜ拒まれたのか」を追う読み方が合います。レビューには、当時の学会では動物に好ましい感情はほとんどなく、人間の赤ん坊は乳によって母へ愛着を持つ、という風潮があったと触れられています。前提が違うと、問題設定も変わります。
また、ハーロウはラットによる実験を揶揄したというレビューもあります。なぜ彼はサルを使うことにこだわったのか。そこには、実験動物の選択が、問いの切り方そのものを左右するという研究者の直感があります。こうした「研究の設計」を追うと、発達心理学の歴史が立体的に見えます。
そして、倫理の問題は避けずに読む必要があります。残酷さを正当化するのではなく、残酷さの結果として得られた知見を社会がどう使ったのかも含めて考える。読後に残る重さは、そこから来ます。
類書との比較
愛着や発達心理学の本は、理論や概念を整理して教えてくれるものが多いです。それらは学びやすい一方で、なぜその理論が必要になったのか、どんな社会状況と結びついていたのかは薄くなりがちです。
本書は、代理母実験という有名な断片を、時代背景と研究史の中へ戻します。実験の是非を単純化せず、影響の大きさと倫理の重さを同時に扱う点が、一般的な心理学入門とは違います。読み終えたあとに、愛着を「正しい知識」としてではなく、「守るべきもの」として捉え直せる本です。
こんな人におすすめ
- ハーロウ実験を断片的に知っていて、背景を含めて理解したい人
- 発達心理学の歴史や、学会の空気の変化に興味がある人
- 動物実験の倫理について、簡単な結論ではなく複雑さごと考えたい人
感想
この本の読み心地は、気持ちよさよりも、考えさせられる重さが勝ちます。実験の残酷さに目をそらさず、同時に当時の常識の強さにも目を向ける。その両方を抱えたまま読み進める必要があります。
読み終えたあとに残るのは、知識というより、問いです。研究は何を救い、何を傷つけたのか。正しい答えを急がず、問いを持ち帰れることが、この本の強さだと思います。
ただ、だからこそ価値があります。愛着の重要性は、いまや常識に見えます。けれど常識は、誰かが戦って得たものです。本書は、その戦いの一部を記録した本でした。