レビュー
概要
『鳥居きみ子: 家族とフィールドワークを進めた人類学者』は、人類学者・鳥居龍蔵の妻として脇に置かれがちだった鳥居きみ子の生涯を、研究者としての軸から描き直した本です。夫の業績を補佐した人物としてではなく、家族とともにフィールドワークを進め、民族学を切り開いた先駆的な研究者として捉え直しているのが本書の核です。明治から昭和にかけて、女性の学術的な活動が今よりずっと厳しく制限されていた時代に、きみ子はモンゴルや中国での調査に同行し、家庭と研究を分けない形で知の現場に関わり続けました。
本書の意義は、人物伝として面白いだけではありません。フィールドワークという方法そのものが、誰の労働で支えられていたか、家族と研究の境界が近代日本でどう編まれていたかを考えさせます。民族学を「知の巨人」の個人史だけで語らず、家族ごとの調査の歴史として読み直せる点に、かなり価値があります。
読みどころ
第一の読みどころは、鳥居きみ子を「家族とともに調査・研究する」形で生きた研究者として描いていることです。くもん出版の紹介でも強調されているように、きみ子は女性の活躍が厳しかった時代を生き抜き、夫や子どもたちとともに探検のようなフィールドワークを続けました。研究のため、まだ赤ちゃんだった子を連れてモンゴルへ向かったというエピソードは、その覚悟を象徴しています。単なる献身の話ではなく、研究の担い手として現場にいたことが見えてきます。
第二の読みどころは、民族学の仕事が生きた人間の生活に向かっていたことです。本書で扱われるのは、生活、風習、伝説、歌といった、文字資料だけでは残りにくい文化です。つまり、家の中、移動の途中、戦争や自然の厳しさの中でしか見えないものが研究対象になります。フィールドワークの重みが、抽象的な方法論ではなく、きみ子の移動と生活の連続として伝わるのが良いです。
第三の読みどころは、これまでほとんど紹介されてこなかった人物像を掘り起こしていることです。鳥居龍蔵についての本は多い一方で、きみ子を中心に据えた本は少なかったと紹介されています。その空白を埋めることで、本書は日本の学術史やジェンダー史の見え方も変えます。偉業の裏方という位置づけではなく、研究そのものを前へ進めた当事者として読むことができるのは大きいです。
本の具体的な内容
公開されている目次によれば、本書は第1章「自分の生きる道」から始まり、第3章には「鳥居人類学研究所」が置かれています。つまり、幼少期や進路選択から、家族と研究所を軸にした生活までが段階的に描かれます。人物伝として時系列を追えるだけでなく、研究の現場がどうできていたかを読み取れる構成です。後半では、周囲の人たちや子どもたちも含めた章立てが見え、家族全体がフィールドワークの単位だったことがうかがえます。
また、本書はきみ子を過度に英雄化しません。さまざまな困難の中で、どうやって研究と生活を両立させたのか、どんな制約の中で判断したのかが見えてきます。だからこそ、「昔にもすごい女性がいた」という感心だけで終わらず、学問が社会制度や家庭の編成とどう結びついているのかまで考えさせられます。参考文献が付されている点からも、児童向け伝記でありつつ調査の土台を大事にした本だとわかります。
さらに、親子で読める伝記としてもよくできています。感想文コンクールの課題図書に選ばれた理由も理解しやすいです。夢中になれるものを持つ強さ、研究を続ける粘り、時代の制約の中でも道を切り開く姿が、押しつけがましくなく伝わります。人類学の入門としても、人物伝としても機能する一冊です。
類書との比較
偉人伝は、一人の天才のひらめきや成功に焦点を当てることが多いです。本書はそれとは異なり、家族、移動、生活、調査の連続として研究を描きます。そこがとても現代的です。学者の業績だけを列挙する本よりも、フィールドワークがどんな仕事かが伝わりやすく、またジェンダーの視点も自然に入ってきます。児童向け読み物でありながら、学術史の見直しとしても読めるのが特徴です。
こんな人におすすめ
人物伝が好きな子ども、フィールドワークや民族学に興味がある読者、歴史の中で見えにくかった女性の仕事を知りたい人に向いています。親子読書にも合いますし、大人が読んでも示唆があります。特に、研究という営みを「個人の才能」ではなく「生活の編み方」として捉えたい人には響くはずです。
感想
この本で強く残るのは、学問は研究室だけで作られるものではない、という感覚です。移動し、記録し、家族で支え合い、危険や戦争の中でも問いを手放さない。その積み重ねの中できみ子の研究者としての輪郭が立ち上がってきます。知の歴史を支えた無数の見えにくい仕事が、ここでは主役として描かれます。
また、鳥居きみ子を通して、フィールドワークの魅力と重さが伝わるのもよかったです。現場に出て、人に会い、暮らしに触れなければわからないことがある。その当たり前を、本書は生涯の物語として届けます。人物伝として面白く、同時に学問の見え方を変えてくれる一冊でした。