レビュー
概要
『わたしは食べるのが下手』は、食べることに苦しさを抱える中学生たちを描いた小説です。主人公の葵は、人と食事をすることがつらい会食恐怖症を抱えています。もう一人の中心人物である咲子は、過食嘔吐を繰り返しています。食べられない理由は違っていても、二人は「食べる」という日常的すぎる行為に深いしんどさを感じている点でつながっています。
本書の舞台は学校給食です。多くの人にとって給食は当たり前のものですが、この小説では、その「当たり前」がいかに人によって違うかが丁寧に描かれます。葵にとって給食の時間は恐怖でしかない。一方で、給食が大好きで大切な時間だと感じる子もいるし、宗教上の理由で食べられないものを持つ子もいる。食をめぐる事情の多さが、かなり誠実に掘られています。
物語は重いテーマを扱っていますが、読むのがつらいだけの本ではありません。栄養教諭の橘川先生に促され、葵と咲子が「わたしたちが望む給食」を考え始めることで、話が前へ進みます。苦しさを告白して終わるのでなく、どうすれば少しでもましになるかを考える。その過程があるから、読後感は沈みっぱなしではなく、かなり希望があります。
読みどころ
1. 「食べられない」が一つではないと分かる
この本のいちばん大事な点は、食の問題を単純化しないところです。葵は小食で食べるのが遅く、人前で食べることにも強い不安があります。咲子は別のかたちで食に苦しんでいます。さらに、宗教や家庭の事情で給食の見え方がまったく違う子たちも登場する。だから読者は、食べる量や好き嫌いの話ではなく、「その人にとって食事がどんな意味を持つか」を考えることになります。
2. 保健室から給食改革へ向かう流れがいい
葵と咲子が保健室で言葉を交わし、橘川先生に背中を押されて要望書づくりへ向かう流れは、この本の大きな推進力です。しんどさを抱えたまま閉じるのでなく、学校の仕組みに対して声を出してみる。その過程で、二人は「自分だけが変わればいい」という地点から少しずつ離れていきます。ここが単なる悩み小説で終わらない理由だと思います。
3. 「作る側」の視点が入ることで深みが増す
本書は、食べる側の苦しさだけでなく、給食を作る側や支える側の思いにも目を向けます。そこがすごく良いです。読む側は、葵と咲子に共感しながらも、「相手にも事情がある」という単純ではない現実を受け取ることになります。食べることは個人の問題でありながら、同時に共同体の問題でもある。その広がりがあるので、テーマが中学生小説の枠に収まりません。
類書との違い
学校生活の悩みを描く児童書やYAは多いですが、本書は悩みの対象がかなり独特です。恋愛や部活、友人関係ではなく、「食べること」にここまで正面から向き合う作品はそう多くありません。しかも、病名やセンシティブな状況を消費するような描き方ではなく、日常の中でどれほど苦しいかを細かく追っていきます。
また、重いテーマなのに登場人物の関係がちゃんと動くので、物語としても読みやすいです。咲子との関係、橘川先生とのやり取り、クラスメイトたちの見え方の変化があるから、問題提起だけで止まりません。読後に残るのは「大変だった」という感想だけでなく、「知らなかった」「考え直した」という感覚です。
こんな人におすすめ
- 学校生活の見えにくい苦しさを扱った小説を読みたい人
- 給食や食事の時間にしんどさを感じた経験がある中学生
- 読書感想文で自分の体験や価値観に引きつけて書きたい人
- 子どもの食や学校生活を考えたい大人
逆に、軽い気分で読める青春小説を探している人には少し重く感じるはずです。ただ、重さに見合うだけの誠実さがあります。
感想
この本で特に印象に残ったのは、「食べること」は生きるための基本だからこそ、うまくいかない時の苦しさが周囲に理解されにくい、という点でした。勉強や運動の苦手さならまだ言葉にしやすいのに、食事は当たり前すぎて「わがまま」や「気にしすぎ」に見られてしまう。本書はその痛みをかなり丁寧にすくっています。
それと同時に、葵や咲子がずっと被害者の位置に置かれないのも良かったです。苦しさを抱えたままでも、自分たちなりに声を出し、考え、誰かと協力しようとする。その動きがあるから、読んでいてただ苦しいだけでは終わりません。保健室での対話や給食改革のくだりは、傷ついた子が少しずつ世界と交渉し直す場面として強く残りました。
中学生向け課題図書としてもかなり優秀だと思います。身近なテーマなので自分の経験と結びつけやすい一方で、視野はしっかり広がるからです。「みんな同じように食べられるわけではない」という当たり前ではない当たり前を、この本は静かに、でも確実に伝えてきます。給食の時間をめぐる見え方が、読む前と後で確実に変わるはずです。食べることをめぐる価値観が少し変わる一冊でした。