レビュー
概要
『まこちゃんとコトバロボ』は、国語のドリルも宿題も嫌いな小学一年生のまこちゃんが、言葉のことなら何でも教えてくれる銀色のロボット「コトバロボ」と出会うところから始まる児童読み物です。発端になるのは、「おねえさん」と「おねいさん」のどちらが正しいかを丸で囲むドリル。まこちゃんは「どっちでもいい気がする」と感じてしまい、言葉の勉強そのものにうんざりしています。
そんなまこちゃんの前に現れたコトバロボは、宿題もドリルもすいすい助けてくれます。子どもが読みたくなる導入としてかなり上手いです。面倒な勉強が、急に近未来の友だちとの冒険に変わるからです。ただ、この本は「便利なロボットがいてよかったね」で終わりません。何でも答えをくれる相手がいるからこそ、まこちゃんは途中で「これでいいのかな」と引っかかり始めます。
物語の核は、正しい答えを早く出すことと、言葉を自分のものとして使うことが同じではない、という感覚です。低学年向けの読みやすさを保ちながら、言葉と気持ちのつながり、学ぶ意味、考える楽しさまでしっかり入っています。説教くさくないのに、読み終えたあとにちゃんと何かが残ります。児童書としてかなり手堅い一冊だと思いました。
読みどころ
1. まこちゃんの「どっちでもいい」がリアル
大人から見ると、ドリルの正誤は単純に見えます。でも、まこちゃんにとっては、その違いが自分の実感につながっていません。ここがいいんですよね。ただ勉強嫌いな子として描くのでなく、「なぜそれを覚えるのか分からない」という低学年の本音がちゃんと入っています。最初のつまずきが自然だから、その後の変化にも無理がありません。
2. コトバロボが便利だからこそ、物語に奥行きが出る
コトバロボは、ただのにぎやかしキャラではありません。国語のことなら何でも教えてくれる存在として、まこちゃんの願いをそのまま形にしたようなロボットです。だからこそ、全部任せれば楽になるはずなのに、だんだん落ち着かなくなる感覚が際立ちます。答えをもらうだけでは足りない。自分で考えて、自分で言葉を選ぶことに意味がある。そこが物語の後半でじわっと効いてきます。
3. 「ことばのたのしさ」が押しつけでなく伝わる
本書は学習テーマを扱っていますが、教えるための本らしさが前に出すぎません。むしろ、言葉って面倒な丸つけの対象である前に、誰かと気持ちをやり取りするためのものなんだ、と読んでいるうちに見えてきます。低学年の読者にとっては、難しい説明より、まこちゃんの気持ちの変化を追う方がずっと入りやすいはずです。その設計がとても上手です。
類書との違い
低学年向けの読み物には、勉強の大切さをストレートに伝える作品が少なくありません。本書も学びをテーマにしていますが、そこで強調されるのは努力や根性ではありません。分からないことを怖がらず、自分で考えることの面白さです。しかも、その入り口にロボットというワクワクする存在を置いているので、読者は説得される前に物語へ入れます。
また、「言葉」をテーマにした児童書としても、かなり日常に近いところから始まるのが良いです。文学的な言葉の力を大きく語るのでなく、まずは宿題、ドリル、学校での会話という身近な場面から出発する。だから、小学一年生や二年生でも自分の生活へ戻しやすいと思います。
こんな人におすすめ
- 国語の勉強がちょっと苦手な低学年の子
- 読み聞かせの次に進む、短い読み物を探している家庭
- 言葉と気持ちの関係をやさしく考えられる本を読みたい人
- 読書感想文の入口として、テーマがつかみやすい本を探している人
逆に、事件が次々に起こる長編を期待すると少し物足りないかもしれません。本書の魅力はスケールの大きさより、日常の中で気持ちが少し動くところにあります。
感想
この本を読んでいて良かったのは、まこちゃんが最初から「学ぶって大事」と納得する子ではないことでした。分からない、面倒くさい、どっちでもいい気がする。その感覚は低学年の子どもにかなり近いし、大人だって新しいことを覚える時は案外そうです。だから、まこちゃんがコトバロボとのやり取りを通して少しずつ変わっていく流れに説得力がありました。
コトバロボの存在も絶妙です。もし先生や親に言われて学び直す話だったら、ここまで軽やかには読めなかったはずです。銀色のロボットという非日常があるから、勉強の話がちゃんと物語になります。そのうえで、最後には「便利さ」と「自分で考えること」の違いへ着地するので、読み終えたあとの余韻もきれいでした。
低学年向けの本は、やさしいだけで終わるものもあります。でも本書には、やさしさと同時に芯があります。言葉を覚えることは、丸をつけるためだけじゃない。誰かと通じ合うためでもあり、自分で考えるためでもある。そのことを押しつけずに伝えてくれる一冊として、かなり好感を持ちました。