レビュー
概要
『「コーダ」のぼくが見る世界――聴こえない親のもとに生まれて』は、聴こえない親を持ち、自分自身は聴こえる子どもとして育った著者が、家族、ことば、社会との距離を見つめ直したエッセイです。CODAという立場を外から説明する本ではなく、その立場での日々にどんな葛藤や違和感があったのかを、当事者の手触りで綴っていきます。
本書が扱うのは、単純な「大変だった話」ではありません。手話と日本語のあいだで揺れること、聴こえる世界と聴こえない世界の両方に属しながら、どちらにも完全には回収されない感覚、家族への愛情と社会の無理解の間で生まれる複雑さ。そうしたものが、感情の押しつけではなく、かなり率直な言葉で描かれています。
2024年公開映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の原作者として知られる著者ですが、本書は映画の周辺情報として読むにはもったいない一冊です。むしろ、ひとつの世界の見え方しか知らなかった読者の前提を、静かに揺らしてくる本だと思います。
読みどころ
1. CODAの視点が「説明」ではなく「生活」として見えてくる
本書を読んでまず感じるのは、CODAという言葉の意味を知るだけでは足りないということです。家庭の中では手話が母語のように機能し、外へ出ると音声言語が支配的になる。その行き来が毎日続くことで、ものの見え方や緊張の持ち方まで変わっていく。本書はそこを制度論でなく生活の感覚として伝えてくれるので、理解が表面的で終わりにくいです。
2. 家族への愛情と偏見の内面化が同時に描かれる
当事者の本で印象に残るのは、外から受ける差別だけでなく、自分の中に入り込んでしまった偏見まで言葉にしていることです。本書でも、家族を大切に思う気持ちと、周囲の目にさらされるしんどさがきれいに分離されません。その複雑さをそのまま書いているから、読者は「理解したつもり」で通り過ぎにくくなります。
3. マイノリティをめぐる「当事者不在」の議論を考え直せる
本書には、手話やろう文化、社会の無知や思い込みについての指摘も出てきます。ただ、それは糾弾のためというより、「知らないまま語ってしまう」ことの危うさを共有するためのものです。だから読んでいて身構えるというより、自分の当たり前がどれだけ限定されたものだったかに気づかされます。
類書との比較
障害やマイノリティを扱うノンフィクションは、制度や支援の話へ寄るものと、感動的な家族物語へ寄るものに分かれやすいです。本書はそのどちらにも寄り切りません。制度の問題を見せつつ、家族愛だけで包み込まず、むしろ当事者の揺れや居心地の悪さまで残している。その誠実さが大きな違いです。
また、啓発本のように「多様性を学ぼう」で終わらないのも良いところです。知識としての理解より、自分がどこで他者を勝手に決めつけていたかを考えさせられる。読後の問いがかなり長く残るタイプの本です。
こんな人におすすめ
- 自分が知らない立場の人の視点に触れたい人
- 家族やことばをめぐるノンフィクションが好きな人
- 多様性の話を理念でなく具体的な暮らしから考えたい人
- 感動消費ではない当事者エッセイを読みたい人
一方で、明るい読後感だけを求める人には少し重く感じるかもしれません。本書はやさしいだけの本ではなく、無理解や偏見の現実もきちんと見せてきます。
感想
この本で強く残るのは、「世界が2つある」というより、1つの身体で複数の文脈を引き受け続けるしんどさでした。家庭の中では自然だったことが、外では説明を求められたり、誤解されたりする。そのたびに、自分の言葉をどこに置くか考えなければならない。本書はその負荷を誇張せずに描くので、かえって重さが伝わってきます。
良かったのは、家族を美談にしすぎないことです。愛情があるから葛藤が消えるわけではないし、理解されたい気持ちと距離を取りたい気持ちは同時に存在する。本書はそういう矛盾を矛盾のまま出してくるので、読者もきれいな結論に逃げにくいです。だからこそ、読後に「知れてよかった」だけで終わらず、自分のふるまいを見直すところまでつながっていきます。
多様性や共生という言葉が軽く流通しやすい時代ですが、本書はその言葉の足元にある暮らしの具体を見せてくれます。知らない世界をのぞく本ではなく、自分の世界の狭さを測り直す本でした。高校生の課題図書として選ばれているのも納得で、若い時期に読むほど、自分の「普通」を疑うきっかけになる一冊だと思います。
読後に残るのは、かわいそうだったという感情ではなく、何を当然と見なし、誰の声を後回しにしていたかへの反省です。そういう意味で、本書は理解した気分にさせる本ではなく、理解の入口で立ち止まらせる本でした。家族の本としても、マイノリティをめぐる本としても、かなり長く残る一冊です。