『罪と罰上』レビュー
出版社: 新潮社
¥891 Kindle価格
出版社: 新潮社
¥891 Kindle価格
『罪と罰〈上〉』は、貧困と孤立の中で追い詰められた青年ラスコーリニコフが、「ある人間には道徳を踏み越える権利があるのではないか」という危険な思想に取りつかれ、殺人を実行してしまうところから始まる長編です。上巻では、事件の衝撃そのものより、事件のあとに彼の心と身体がどう崩れていくかが強く描かれます。読者は犯人探しの面白さより先に、「自分の理屈で自分を支えようとした人間が、その理屈に食い破られていく過程」を見せつけられます。
この作品の怖さは、ラスコーリニコフの発想が完全な怪物のものではない点にあります。自分は特別だ、世のためなら例外が許されることもある、という考えは、極端に見えて、どこか人間の傲慢さの延長にあります。そのため彼の転落は他人事になりにくい。古典でありながら、いま読んでも心理の生々しさがまったく古びません。
上巻最大の読みどころは、罪悪感を「考え」ではなく「感覚」として描いているところです。熱っぽさ、ふらつき、汗、物音への過敏さ、街の雑踏の息苦しさ。ラスコーリニコフは理論では自分を正当化しようとしますが、身体が先に破綻していきます。この身体感覚の細かさがあるため、読者は彼の理屈を冷静に眺めるより先に、その苦しさを追体験することになります。
また、殺人に至る理論の危うさも非常に印象的です。ラスコーリニコフは「価値の低い人間を1人殺して、その金を役立てるなら全体として善ではないか」という発想に近づいていきます。ここで問題なのは、善悪の判断そのものより、自分をその判断の外側へ置こうとすることです。本書はその傲慢さを説教ではなく、行動と崩壊によって見せるので強いです。
さらに、周囲の人物が単なる脇役で終わらないのも重要です。母や妹ドゥーニャ、友人ラズーミヒン、予審判事ポルフィーリー、そしてソーニャへつながる人物配置が、ラスコーリニコフの理屈をいろいろな角度から揺さぶります。優しさ、打算、良心、誇りがぶつかり合うことで、物語は単なる犯罪小説から、人間の在り方そのものを問う小説へ広がっていきます。
上巻の時点ですでに会話劇としても非常に濃密です。ポルフィーリーのような相手が出てくると、問いかけ一つひとつが尋問のように響き、ラスコーリニコフの言葉は自分自身を追い詰める道具にもなります。長編ですが、心理の押し引きに緊張感があるため、古典にありがちな停滞感は意外と少ないです。
ドストエフスキー作品は思想小説として語られることが多いですが、『罪と罰』はとりわけ心理サスペンスとしての力が強いです。『カラマーゾフの兄弟』が家族や信仰の衝突を大きく広げていくのに対し、本作はもっと個人の内部へ潜っていきます。罪を犯した人間が、証拠より先に、自分自身に追われる構図が圧倒的です。
また、単なる推理小説とも違います。犯人が誰かは最初からわかっているため、興味は「どう隠すか」より「なぜ壊れていくか」に移ります。この視点の置き方が、本書を長く読み継がれる作品にしています。犯罪のトリックではなく、人間の理屈と弱さを見たい人に向いています。
古典として名前だけ知っていた人にもすすめやすいのは、テーマが難しいわりに読者を引っ張る力が強いからです。貧困、孤独、誇り、善悪の理屈が、すべて主人公の息苦しさへつながっている。だから抽象的な議論に見えても、読後にはかなり具体的な痛みとして残ります。
上巻を読んで強く残るのは、「人は自分を正しいと思いたい生き物だ」という嫌な真実です。ラスコーリニコフは悪を楽しむ人物ではなく、むしろ自分を高尚な側に置きたがる。その姿があるから、彼の崩れ方はより痛いです。理屈で自分を守ろうとしたはずなのに、その理屈がいちばん鋭い刃になって返ってくる。
古典として構える必要はありますが、実際にはかなり強い推進力があります。読んでいて楽という意味ではありませんが、苦しさごと引き込まれるタイプの面白さです。下巻で何が起こるかを知っていても、上巻だけで十分に読者をつかむ力がある。罪と罰という題名の重さを、抽象論ではなく人間の神経で理解させる、非常に強い導入部でした。