レビュー
概要
『おいしいごはんが食べられますように』は、職場の微妙な人間関係を、「食べること」を通してえぐり出す小説です。第167回芥川賞受賞作として知られています。
登場人物は、真面目で損をしがちな押尾、食に興味が持てない二谷、そして「か弱くて守られる存在」として職場で機能している同僚・芦川。芦川の手作りお菓子が、職場の空気を少しずつ変えていきます。
物語としては大事件が起きるわけではありません。それなのに、読んでいる間ずっと居心地が悪い。職場の“あるある”の皮膚感覚が、妙にリアルだからです。
読みどころ
1) 「善意」が、関係を濁らせる瞬間を描く
手作りお菓子、気遣い、優しさ。こういうものは普通、良いものとして扱われます。でも職場では、ときに圧になります。
受け取らないと感じが悪い。断ると空気が悪くなる。食べたくないのに食べる。そういう“ひっかかり”が積み上がって、関係が歪みます。本作は、そこを逃げずに描きます。
2) 「守られる人」と「損する人」の関係が、鋭い
芦川は、か弱くて守られる存在として振る舞います。押尾は真面目で、損を引き受けがち。二谷は、食への興味の薄さゆえに、場のルールに適応しきれない。
この三者の配置が、職場の現実に近い。誰が悪いと断定できないのに、確実に嫌な感じがする。だから読者は、自分の職場の記憶を引っ張り出されます。
3) 「いじわる」が、快楽ではなく“調整”として出てくる
押尾が二谷に、芦川へ「いじわる」しようと持ちかける。この展開は、意地悪を肯定する話ではありません。
むしろ、優しさの強制がある場所では、反動として“いじわる”が出ることがある。そういう現象として読めます。誰もが善人でいられない構造が、静かに露出します。
類書との比較
職場小説は、成果や出世、パワハラといった分かりやすい対立を描くことが多いです。本作はもっと曖昧で、だからこそ怖い。
問題が「言語化しづらい」ぶん、解決も難しい。読者は、気まずさを抱えたまま読まされます。そこが芥川賞作品としての強度だと思います。
こんな人におすすめ
- 職場の人間関係が、理由は分からないのに疲れる人
- 「善意」や「気遣い」が負担になる瞬間に心当たりがある人
- 食や贈り物が、関係の力学になるのを見てきた人
- ざらついた現実を描く小説が好きな人
本の具体的な内容(何が“えぐい”のか)
芦川は職場で、守られる存在として振る舞います。手作りのお菓子は、その象徴です。お菓子は優しさの形をしているのに、受け取る側に「断れない」「返さなきゃ」という圧を作る。
押尾は真面目で、損を引き受けがちです。二谷は食に興味が薄く、場の空気に合わせること自体が苦しい。三者の違いが、職場の“見えないルール”を浮かび上がらせます。
物語は、誰かが大きな悪事を働く話ではありません。だからこそ、「この程度のことで自分は疲れているのか?」という形で、読者にも刺さってきます。現実の職場のしんどさは、たいていこの規模だからです。
合わないかもしれない人
読み味は軽くありません。職場の会話や空気感がリアルなので、似た状況で消耗している人が読むと、読んでいる最中に疲れる可能性があります。
ただ、その疲れは「自分が何に反応しているのか」を照らす材料にもなります。安全なタイミングで読むと、効き目が出るタイプの小説です。
読み方のコツ
読みながら「誰が正しいか」を裁こうとすると、しんどくなります。おすすめは、登場人物を“役割”として見ることです。守られる人、損を引き受ける人、空気に適応しきれない人。役割の配置が見えると、職場の構造として読めて、嫌な気持ちが「理解」に変わります。
感想
この本を読んで一番刺さるのは、「小さなことが、ずっと残る」という感覚でした。手作りのお菓子を断れない。笑顔で受け取ってしまう。気づけば、自分の感情がよく分からなくなる。こういう場面は、現実の職場で起きます。
本作は、誰かを悪者にしない代わりに、読者の逃げ道も塞ぎます。「芦川が悪い」とも言えないし、「押尾が正しい」とも言えない。二谷の態度も、共感できるのに冷たく見える瞬間がある。
だから読後に残るのは、正しさではなく、自分が何を我慢して、何を諦めて、何を相手に期待しているのかという問いです。
タイトルの「おいしいごはんが食べられますように」は、祈りのようで、呪いのようでもあります。ちゃんと食べたい。ちゃんと生きたい。でも、関係の中でそれが難しくなる。そんな現実を、短いページ数で濃く見せる一冊でした。