レビュー
概要
『善の研究』は、西田幾多郎が日本語で近代哲学を本格的に組み上げた記念碑的著作です。タイトルだけ見ると倫理学の本に見えますが、実際には善の議論に入る前に、経験・実在・人格・宗教へと土台を順に築く重層的な構成を取っています。ワイド版岩波文庫は判型が大きく、古典特有の詰まりやすさを物理的に軽減してくれるのが利点です。内容自体はもちろん難解ですが、文の見通しが少し良いだけで読解体験は大きく変わります。
本書の全体構成は四編です。第一編で「純粋経験」を導入し、主観と客観を安易に分離する前の経験層を検討する。第二編では実在論の問題を扱い、存在と認識の関係を整理する。第三編でようやく善、行為、自由、人格の問題へ進み、第四編で宗教的要求を論じる。つまり、善は出発点ではなく到達点として置かれています。この構造を理解すると、個々の難文が「どの問いに答えようとしているか」が見えやすくなります。
読みどころ
第一の読みどころは、純粋経験を軸にした問題設定です。ここで西田は、主体と対象をすでに分けた認識の枠組みをいったん保留し、経験そのものの立ち上がりを捉えようとします。この視点は抽象的に見えますが、実は非常に実践的です。私たちは日常で、判断・評価・解釈をほぼ同時に行ってしまう。その高速処理を減速し、経験の層を分けて観察する態度は、現代の認知科学や現象学に触れる読者にも示唆を与えます。
第二の読みどころは、倫理を心理主義に還元しない点です。善は気分の良し悪しでも、社会通念への適応でもない。行為がどのように目的を持ち、人格の自己実現へ接続されるかという、より広い枠組みで検討されます。善を論じるときに「何が正しいか」だけでなく「なぜそれを選びうるか」まで問う姿勢が一貫しており、道徳的スローガンに落ちない強さがあります。
第三の読みどころは、最終編の宗教論です。宗教という語に身構える読者もいると思いますが、本書での宗教は教義の説明ではなく、価値判断の最終根拠に関わる問いとして展開されます。合理的説明だけでは埋まらない“生の要求”をどう扱うか。ここを読むと、倫理・存在論・宗教が別々の分野ではなく一連の問題として繋がっていることが分かります。
類書との比較
西洋哲学の入門書と比べると、『善の研究』は概念史の整理よりも、著者自身の思考運動を前面に出すタイプです。たとえばデカルトやカントの入門書は問題と解答の対応が比較的明瞭ですが、本書は定義の確定と再定義を繰り返しながら前進するため、読者側にも構造把握の努力が求められます。そのぶん、受け身で理解した気になる余地が少なく、読解の密度は高いです。
国内思想書で比較するなら、和辻哲郎や三木清の著作が社会・倫理・歴史へ議論を広げるのに対し、『善の研究』はより基礎理論の深掘りに重心があります。具体例の豊富さでは後続書に分がありますが、問題の根本へ降りる力は本書が突出しています。平易さはありませんが、読み終えた後に他の哲学書を読む視座が変わるという点で、基準点になりうる一冊です。
こんな人におすすめ
倫理学、宗教哲学、存在論をばらばらではなく連続した問いとして学びたい人に向いています。哲学初学者でも読めますが、要約だけを求める読書には不向きです。時間をかけて一文ずつ追う覚悟がある人、読書会や講義で議論しながら読みたい人、日本語で思考された近代哲学を一次文献で体験したい人には強くおすすめできます。
感想
この本を読んで感じたのは、「難しい」の中身が変わる体験でした。最初は語彙や文体の古さで難しいのですが、読み進めるうちに、むしろ自分が普段どれだけ雑に“分かったつもり”になっているかが難しさの正体だと見えてきます。西田の文章は読者を急かさず、しかし逃がさない。定義を曖昧なまま先へ進めると、次の段落で必ず躓く設計です。
特に印象に残ったのは、善を最初から倫理規範として語らない態度です。善を語る前に経験を問い、存在を問い、行為主体の成り立ちを問い直す。この順番を通過すると、日常的に使う「正しい」「間違い」の言葉がどれほど脆い前提に乗っているかが分かります。結論だけを拾う読書では得られない手応えでした。
また、宗教論に至る終盤は、理性で整理した議論が行き止まる地点を正面から扱っていて、古典でありながら現代的です。合理性を重視するほど、説明できないものを排除したくなる。しかし本書は、排除するのではなく、説明可能性の限界を引き受けた上で思考を続けます。この誠実さが読後に残りました。
読みやすさだけで評価すれば、もっと親切な入門書は多数あります。それでも『善の研究』を読む価値は、哲学的問いを自分の速度で組み立て直す経験にあります。短期的な効率は悪くても、長期的には思考の精度を底上げしてくれる。古典を読む意味を実感できる一冊でした。