レビュー

概要

『イノサン』1巻は、フランス革命期に実在した処刑人一族・サンソン家の運命を軸に、「人を殺す役目」を背負わされた人間が何を守り、何を壊していくのかを描く歴史漫画です。主人公は、のちに国王ルイ16世の斬首刑の指揮を執ったとされるシャルル=アンリ・サンソン。処刑、拷問、解剖といった出来事が生々しく描かれる一方で、残酷さだけに寄りかからず、「なぜこの家は“死”を引き受けてきたのか」「それでも人として残るものはあるのか」という問いが静かに積み上がっていきます。

1巻で印象的なのが、サンソン家が“仕事”としての刑務を淡々と遂行するだけの一族というより、家族それぞれの弱さや信仰、罪悪感、そして野心が複雑に絡み合う共同体として描かれている点です。父シャルル=ジャン・バチスト、祖母アンヌ=マルト(「偉大なるおばあさま」)、宮廷直属の処刑人でもある叔父ニコラ=シャルルらが、主人公に求めるものは一枚岩になりません。家を守るための規律と、個人としての感情がぶつかり、そこに「生まれ」で人生が決まってしまう時代の冷酷さが重なります。

読みどころ

1) 「処刑人の家」に生まれることの逃げ場のなさ

本作が重いのは、暴力の場面そのものよりも、暴力が“制度”として日常に埋め込まれていることです。サンソン家はムッシュ・ド・パリ(パリの処刑人)という役目を担い、王権と民衆のあいだに立ち続けます。その立場は特権でもあり、呪いでもある。主人公が「自分が何者か」を選べないまま大人になっていく過程が、1巻からすでに刺さります。

2) 家族の力学が、主人公の人格を削る

祖母の苛烈な統率、父の冷酷さ(あるいは冷酷に見える仮面)、叔父の野心。さらに、後の物語で主役を担うマリー=ジョセフ(異母妹)という“危うい才能”の存在まで、家の内側に火種が多い。血縁が最も近いはずの人間が、最も容赦なく主人公を追い詰めていく構図が、歴史ものというより心理劇として強いです。

3) 美しさと残酷さが同居する、耽美な比喩表現

坂本眞一の絵は、人物の表情や身体の線が圧倒的に美しい。その美しさが、処刑や拷問の写実性と並置されることで、「生」と「死」の距離が異様に近い世界を作ります。嫌悪感で目を背けたくなるのに、同時にページをめくってしまう。読後に残るのは、刺激よりも“人間の弱さ”の手触りです。

4) 歴史の大事件より先に、「個人の倫理」が立ち上がる

フランス革命や王族、革命家たちの影が見え隠れしながらも、1巻の中心にあるのは、巨大な歴史に飲み込まれる前の「小さな選択」の積み重ねです。誰かを救いたい、家を守りたい、恐れたくない。そうした個人の倫理が、のちに歴史の闇へ接続していく予感が、1巻の段階で十分に張られています。

こんな人におすすめ

  • 史実ベースのフィクションで、人間の心理や倫理の揺れを読みたい人
  • “家”や“役割”に縛られる物語(継承、呪い、使命)が好きな人
  • 美麗な作画と、テーマの重さの両方を味わいたい人

読む前は「残酷描写が強い作品」という印象を持ちやすいですが、実際には「人はどこまで“無垢(イノサン)”でいられるのか」を、家族と制度の圧力の中で問い直していく作品でした。1巻はまだ序章でありながら、主人公が背負うものの重さがはっきり伝わってきます。

1巻を「具体」で読むポイント

本作の面白さは、サンソン家がただ血なまぐさい職能集団として描かれるのではなく、“刑罰を執行する手”の裏側にある生活と信仰まで描かれるところにあります。たとえば、父シャルル=ジャン・バチストが人前では非情に見える一方で、家の奥には贖罪のための礼拝堂のような空間が隠されている、という設定が示されます。処刑人は冷徹でなければ務まらないが、冷徹でい続けるには、別の形で心の帳尻を合わせる必要がある。その矛盾が、家の内側から滲み出ます。

また、サンソン家の周辺には、権力側の論理と民衆側の論理が同時に流れています。宮廷直属の処刑人でもある叔父ニコラ=シャルルが、甥を「未熟」と見なしつつも利用しようとする視線には、家族愛よりも職能と権力の計算が混ざる。処刑は“正義の執行”という顔をしながら、実際には政治と噂と見世物の要素が強く、執行する側もまた巻き込まれていくのだと分かります。

さらに、後の物語へつながる火種として、異母妹マリー=ジョセフの存在が大きいです。彼女は幼い頃から処刑技術や解剖に強い関心を示し、「女が処刑台に上がるのはタブー」という社会の枠を、平然と踏み越えていく。兄シャルルが“家を守るために自分を抑える”方向へ進むのに対して、妹は“自由であるために手段を選ばない”方向へ進む。その対比が1巻の段階で提示され、以降の悲劇性に説得力を与えています。

1巻は革命のクライマックスを描く巻ではありません。それでも、国王や王妃、革命家たちの影が薄く差し込むことで、「この一家の仕事が、やがて歴史のど真ん中に置かれる」という不穏な見通しが生まれます。序盤からここまで先の重さを予感させるのが、本作の怖さでもあり、魅力でもあります。

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