レビュー

概要

『52ヘルツのクジラたち』は、「声が届かない」「声を届けられない」孤独を抱えた人が、それでも誰かとつながり直す物語です。

52ヘルツのクジラとは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一匹だけのクジラ。何も届かない、何も届けられない。その比喩が、物語全体に静かに響いています。

主人公は、自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚(きこ)。そして、母に虐待され「ムシ」と呼ばれる少年。孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた二人が出会うことで、物語が動き出します。

読む前は「優しい感動作」だと思っていました。でも実際は、優しさだけでなく、痛みの描写がかなり具体です。だからこそ、救いも甘くならない。痛みの現実を消さずに、それでも未来へ進む話です。

読みどころ

1) 「搾取」が、特別な悪ではなく“関係の形”として描かれる

この本は、分かりやすい悪役を置いて溜飲を下げるタイプではありません。

搾取は、日常の関係の中で起きます。家族だから、親だから、子だから。そういう言葉が、逃げ場を塞いでいく。だからこそ、読者の中にも「思い当たる怖さ」が残ります。

2) 子どもの痛みが、抽象ではなく具体で描かれる

「ムシ」と呼ばれる少年の描写は、軽くありません。

ただ、センセーショナルに消費するのではなく、子どもの言葉にならない苦しさとして描きます。だから、読む側も“見なかったこと”にできない。

その結果、物語の救いが現実の重さを持ちます。

3) つながり直すには、愛より先に「安全」が必要だと分かる

優しい話のようで、実はかなり現実的です。

つながり直すには、気持ちだけでは足りない。居場所、距離、暮らし、手続き。そういう“安全の設計”が必要になる。そこが描かれるから、読後に残るのが「感動」だけで終わりません。

本の具体的な内容

貴瑚は、過去の関係と痛みを抱えながら、ある土地で生活を立て直そうとします。そこで「ムシ」と呼ばれる少年と出会い、放っておけない感情が芽生える。

この物語の良さは、貴瑚が最初から強いわけではないことです。誰かを助ける余裕があるわけでもない。それでも、目の前の子どもの痛みを見てしまった以上、無視できない。

その「見てしまった」から始まる関係が、読者にとっても現実的です。人は、理念で誰かを助けるより、目の前の具体で動くことが多いから。

また、貴瑚自身の過去が、物語の途中で立体化していきます。ここで重要なのは、過去が“説明”ではなく、現在の反応として現れることです。怖いときにどう固まるか、逃げたいときにどう黙るか。その反応が、人の歴史を語ります。

読み方のコツは、泣ける場面を探すより、「安全がどの順番で作られているか」を見ることだと思います。居場所を作る。距離を取る。助けを求める。小さくでも生活が回る形にする。その順番が見えると、物語が“自分ごと”になります。

この物語の“救い”は、劇的な勝利ではなく「呼び方が変わる」こと

本書で繰り返し効いてくるのは、言葉の問題です。

「ムシ」と呼ばれてきた少年が、どう扱われてきたか。貴瑚が、家族の中でどんな役割として消費されてきたか。そこには、暴力だけでなく、名前を奪うような言葉の運用があります。

だから物語の救いは、派手な逆転ではなく、「呼び方」「関わり方」が変わることとして描かれます。人は、環境が変わらないと変われない。でも環境は、人が一つずつ作り直すこともできる。その現実的な希望が残ります。

類書との比較

孤独や虐待を扱う作品は多いですが、本作は「救いの描写」が現実的です。

奇跡で一気に解決するのではなく、少しずつ関係を組み替える。その手間を丁寧に描くから、読後が嘘っぽくならない。ここが多くの読者に届いた理由だと思います。

こんな人におすすめ

  • 人間関係の痛みを、きれいごと抜きで描いた物語を読みたい人
  • 優しいだけで終わらない“救い”を味わいたい人
  • 年末に、自分の人生の線を引き直したい人

合わないかもしれない人

  • 暴力や虐待の描写が苦手な人
  • 軽い読後感の物語を求めている人

感想

この本を読んで一番残ったのは、「声が届かない状態」を、本人の努力不足として扱わないところでした。届かないのは、声が小さいからではなく、周りが聞かない構造があるから。

そして、つながり直すには「気持ち」より「安全」が先だと教えてくれます。住む場所、距離、生活、支援。これが整うと、やっと感情が動ける。

優しさを“雰囲気”で終わらせず、現実の手当てに変えていく。だから読後に残るのは涙よりも、静かな覚悟でした。

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    佐々木 健太

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